智の館2
政体 第18章


司馬徽
貞観の治





太宗が即位した時、霜害や旱魃によって米穀の価格が高騰した。その上、突厥が侵入略奪をし、国内の州県は騒然となった。太宗の志は人民を憂えることにあった。一心になって政治を行い、倹約を尊び、大いに恩徳を敷き施した。この時、都の長安から河東、河南、隴右に及ぶまで飢饉がもっとも甚だしく、一匹の絹でわずかに一斗の米が手に入れられるという有様だった。人民は東に西にと食物のあるところを追い求めて移動したけれども少しも嘆き恨むことなく、みな安らかに落ち着いていた。

貞観三年になると都を中心とした関中の地は豊作となった。人民たちは故郷に帰り、結局、一人として国を捨てなかった。太宗が民心を得ているのはこのようであった。
その上に臣下の諌言に従うことは水の流れのようにすらすらと聞き入れ、かねてから儒学を好み、努力して賢士を求め、人を選んで官に任ずることに努力し、昔の悪習を改革し、制度を復興し、常に一つ事を行うについて同類のものに触れ及ぼして善を行うようにした。

太宗が即位する前、兄の健成と弟の元吉との党で共に太宗を殺害しようと謀った者は数百から千人いた。しかし、事件が治まった後、その多くを引き入れて左右に近侍に置いた。このように心の持ち方が広く大きく、少しも疑いためらうことがなかった。これについて、当時の世論はよく大事を裁決し、帝王としての体を備えていると言った。
官吏の欲張りで心の汚れた者を深く憎み、法律を悪用して財貨を受けた者があれば許すことはなかった。また、在京の流外官で賄賂を受ける者があれば皆、天子に申し上げさせその犯した罪によって重い処罰をした。そのため、官吏は自然と清謹となった。王公や親戚、勢力がある家や悪くてずる賢い者たちを押さえつけた。そのため、皆天子の威光を恐れて逃げ隠れてしまい、貧民を侵し騙す事がなくなった。

行商人が野宿をしても盗賊の心配がなく、罪を犯す者がないために牢獄はいつも空だった。放し飼いにした馬や牛が野原に多くいて、民家では戸締りを数ヶ月もしないほど治安が安定した。また、毎年、豊作が続き、米価が一斗で三、四銭であった。旅行者は都の長安から広東に行ったり山東から東海の方面に行くのに食料を携帯する必要がなく行き先で調達することが出来た。また、国内が平和で豊かになったので山東の村落では通過する旅行者に手厚いもてなしをして、時には贈り物をするものもあった。

このようなことは過去にはなかったことである。




司馬徽
豊かで平和な貞観の治をうかがわせる18章じゃな。
部下の諌言に従うこと。
不正を働く官吏を許さないこと。
親戚といえども不正を許さないこと。
そして、何よりも太宗の人となりがこの貞観の治を素晴らしい時代にしたのじゃ。
なるほど。やっぱり、最後は王の人となりということですね。
あれじゃあ、この国の運命も定まったかもしれませんねえ。

鏡秋雪

司馬徽
よいぞ、よいぞ

飛覇帥
ZZZzzz〜。
はっ。ヨダレが・・・。話は終わったか?今回は眠い話だったのう。
次ぎ行ってみよう!
(byいかりや長介口調で)
だめだこりゃ!
(byいかりや長介口調で)

鏡秋雪

司馬徽
はあ(深いため息)






原文
第十八章
太宗、即位の始めより、霜旱、災を為し、米穀踊貴し、突厥侵抄し、州県騒然たり。帝の志は人を憂ふるに在り。鋭精、政を為し、節倹を崇尚し、大いに恩徳を布く。是の時、京師より河東・河南・隴右に及ぶまで、飢饉尤も甚しく、一匹の絹、纔に一斗の米を得。百姓、東西に食を逐ふと雖も、未だ嘗て嗟怨せず、自ら安んぜざるは莫し。貞観三年に至りて、関中豊熟し、咸自ら郷に帰り、竟に一人の逃散するもの無し。其の人心を得ること此の如し。加ふるに諌に従ふこと流るるが如きを以てし、雅より儒学を好み、孜孜として士を求め、務は官を択ぶに在り、旧弊を改革し、制度を興復し、毎に一事に因り、類に触れて善を為す。
初め息隠・海陵の黨、同に太宗を害せんと謀りし者、数百千人。事寧き後引きて左右近侍に居く。心術豁然として、疑阻すること有らず。時論、以て能く大事を断決し、帝王の体を得たりと為す。深く官吏の貪濁を悪み、法を枉ぐるの財を受くる、者有れば、必ず赦免する無し。在京の流外、贓を犯す者有れば、皆、執奏せしめ、其の犯す所に随ひ、オくに重法を以てす。是に由りて官吏多く自ら清謹なり。
王公妃主の家、大姓豪猾の伍を制馭す。皆、威を畏れて跡を屏め、敢て細人を侵欺する無し。商旅野次し、復た盗賊無く、囹圄常に空しく、馬牛、野に布き、外戸、動もすれば則ち数月閉ぢず。又、頻りに豊稔を致し、米、斗に三四銭。行旅、京師より嶺表に至り、山東より滄海に至るまで、皆、糧を賚すを用ひず、給を道路に取る。又、山東の村落、行客の経過する者、必ず厚く供待を加へ、或は時に贈遺有り。此れ皆、古昔未だ之れ有らざるなり。