智の館2
政体 第16章


司馬徽
君主と家臣の影響力


登場人物紹介

太宗
唐の2代目皇帝。
2代目といってもぼんぼんではない。父の代わりとして中国各地を転戦し唐の中国統一の最大の功労者。
兄と弟が自分を殺害しようとしていたことを知ると先手を打ってこれを討ち、父親を幽閉して皇帝の座につく。
長い中国の歴史の中でも屈指の名君として必ずその名は挙げられ、その治世は『貞観の治』と呼ばれ後世の手本とされた。

魏徴
太宗の兄に仕えて太宗暗殺を計画し積極的にこれを勧めた。しかし、これに失敗。逆に太宗に捕らえられた。
その見識の高さと剛直さを太宗に認められ大臣に抜擢された。その後も太宗を恐れることはなく諌言を繰り返し、太宗の治世を支え続けた。
魏徴が亡くなった時、太宗は「自らの過ちを正す貴重な鏡を失った」と嘆いた。




司馬徽
貞観十六年。太宗は左右の侍臣に尋ねた。

太宗
歴史を見ていると、ある時には上の君主が乱れて下の臣が治まり、ある時には下の臣が乱れて上の君主が治まるということがある。
もし、このように君主と臣下が行うことが食い違ってしまった場合、どちらが影響が大きいのだろうか?
君主の心が治まっていれば明らかに臣下の悪を見抜くことが出来ます。一人を誅罰して百人を励ませば、誰もが君主の威光を恐れて力を尽くさないものがありましょうか。
もし、上の君主が愚かで暴虐で、臣下の誠心誠意からの忠告に従わなければ、伍子胥が呉を救う事ができなかったようにその禍いを救うことが出来ず、滅亡に迫ることになります。

魏徴

太宗
そなたが言うように上の君主が暴虐であった場合に滅亡に迫るということが歴史の摂理であるとするならば、北斉の文宣帝は愚かで暴虐であったが、楊遵彦が正道によって君主を助け救って治まることが出来たのはどういうわけじゃ?
楊遵彦は凶暴な君主をうまくとりつくろい、人民を救済し、かろうじて世の乱れを免れることが出来ましたが、非常に危険で苦労をいたしました。
君主が厳正で公明で、臣下は法律を恐れ、直言や正諌が皆すべて信用されております陛下の今の治世とは同じようにみなして論じることなど出来ません。

魏徴




司馬徽
やはり君主の能力や心の方が世に与える影響力は大きいということじゃ。
伍子胥というのは春秋時代の呉の重臣で王のために諌言を繰り返した人物じゃ。しかし、讒言により死を賜った。その後、伍子胥の危惧したように呉は滅亡してしまい。王は伍子胥にあわせる顔がないといって布で顔全体を蔽って自決したのじゃ。
わしも暴虐な君主たちを反面教師として、立派な政治を心がけよう。
飛覇帥

司馬徽
よいぞ、よいぞ
むむ!
目の前が真っ暗になったぞ。これは、黒いビニール袋!

飛覇帥

鏡秋雪
いやー。私たちにあわせる顔がないでしょうから、蔽っておきましょうね。
貴様!黒いビニール袋などをかぶせおって。許せん!
飛覇帥

鏡秋雪
申し訳ございません。
では、東京都指定のゴミ袋ならよろしいですか?
・・・・・。
貴様。わざと、論点をずらしているだろう。

飛覇帥






原文
第十六章
貞観十六年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、或は君、上に乱れ、臣、下に理む。或は臣、下に乱れ、君、上に理む。二者苟くも違はば、何者をか甚だしと為す、と。特進魏徴対へて曰く、君、心理まれば即ち照然として下の非を見る。一を誅して百を勧めば、誰か敢て威を畏れて力を尽くさざらん。若し上に昏暴にして、忠諌、従はずんば、百里奚・伍子胥の徒、虞・呉に在りと雖も、其の禍を救はず、敗亡も亦促らん、と。
太宗曰く、必ず此の如くならば、斉の文宣は昏暴なるに、楊遵彦、正道を以て之を扶けて理を得たるは、何ぞや、と。徴曰く、遵彦、暴主を弥縫し、蒼生を救理し、纔に乱を免るるを得たるも、亦甚だ危苦せり。人主厳明にして、臣下、法を畏れ、直言正諌して、皆、信用せらるるとは、年を同じくして語る可からざるなり、と。