智の館2
政体 第15章


司馬徽
初心を忘れずに


登場人物紹介

太宗
唐の2代目皇帝。
2代目といってもぼんぼんではない。父の代わりとして中国各地を転戦し唐の中国統一の最大の功労者。
兄と弟が自分を殺害しようとしていたことを知ると先手を打ってこれを討ち、父親を幽閉して皇帝の座につく。
長い中国の歴史の中でも屈指の名君として必ずその名は挙げられ、その治世は『貞観の治』と呼ばれ後世の手本とされた。

魏徴
太宗の兄に仕えて太宗暗殺を計画し積極的にこれを勧めた。しかし、これに失敗。逆に太宗に捕らえられた。
その見識の高さと剛直さを太宗に認められ大臣に抜擢された。その後も太宗を恐れることはなく諌言を繰り返し、太宗の治世を支え続けた。
魏徴が亡くなった時、太宗は「自らの過ちを正す貴重な鏡を失った」と嘆いた。




司馬徽
貞観十年。太宗は左右の侍臣に月令について尋ねた。
月令というのは昔から定められた毎月行う政令を十二ヵ月に配当してあるものであった。

太宗
我らは月令にしたがって政治を行っているが、月令というものはいつから定められたものであろうか?
今の『礼記』に載せてある月令は秦の呂不韋から起こったものでございます。
魏徴

太宗
政治を行うにあたって、もっぱら月令に依った時、政令の善悪が全て月令に記されているものなのだろうか?
秦漢以来、聖王は月令に記されたことによるものが多くありました。しかし、すべてを月令に依る事は善い事ではございません。
月令とはいにしえの教えを設けて人に善をなすことを勧めたものでございます。
王はその行うことを皆月令に従おうとしましたが、その善悪は必ずしも月令に記されている通りではございません。

魏徴

太宗
月令は秦の呂不韋から起こったということは古代の聖王たちは何故月令を行わなかったのであろうか?
考えてみますと月令は古代の聖王たちが行っていたことを呂不韋が整理してまとめたものでございます。
ですから、月令は必ずしも秦代から始まったものではございません。

魏徴

太宗
私は最近、読書をしてそこで読んだ善いと思ったことは即座に実行してきた。
ところが、人を用いることについてはその人物の善悪をなかなか見分けることが出来ない。だから人を知るということは非常に難しいものだと思っている。
私は近頃、そなたたちを任用している。しかし、どういうわけで治世が漢の文帝、景帝に及ばないのだろうか?
陛下は政治に心を砕き、私どもに治世を委任されましたことは古代の聖王にもまさっております。ただ、私どもが愚かなために陛下のお頼みに応える事が出来ないのです。
しかし、四方の異民族の服従と天下の平穏無事ということを取り上げますと、古来、今日のような治世に似たものはございません。
ですから漢の文帝、景帝などと陛下の御聖徳を到底比較することなど出来ません。

魏徴

太宗
ふむ・・・
昔から君主は初めて政治をなされたときは、皆、尭舜に比較されるような治世を実現したいと願っております。ところが、天下が安らかになってしまいますと、その善い心がけを続けることが出来ません。
また、臣下も始めて任用されたときは、心と力の限りを尽くそうとします。しかし、富貴になりますと、ただ地位官爵を保全しようとしてしまいます。
もし、君臣がいつまでも怠らなければ天下が安らかにならないという道理がありましょうか。

魏徴

太宗
そなたの言葉はまったくその通りである。
私もそなたの言葉のように政治に怠らないようにしていきたいものだな。




司馬徽
誰しも最初は立派な政治を志すものじゃ。しかし、それを持続することが出来るかどうか。慣れず、怠らず、過信に陥ることなく励み続ければ自然に世は治まっていくものじゃ。
うむ。
政治に限らずどんな事業においても同じことが言えるな。
継続は力なりというがまったくその通りじゃな。

飛覇帥

司馬徽
よいぞ、よいぞ

鏡秋雪
養毛剤も継続は力なりですよ。飛覇帥さん。途中でやめちゃいけませんよ。
うぐっ。
なぜ、知っておるのじゃ。

飛覇帥

鏡秋雪
ふふふ。(にやり)






原文
第十五章
貞観十年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、月令は早晩有りや、と。侍中魏徴対へて曰く、今、礼記の載す所の月令は、呂不韋より起る、と。太宗曰く、但だ化を為すに専ら月令に依らば、善悪復た皆記する所の如きや不や、と。魏徴又曰く、秦漢以来、聖王、月令の事に依るもの多し。若し一に月令に依る者は、亦未だ善有らず。但だ古は教を設け人に勧めて善を為さしむ。行ふ所皆時に順はんと欲せば、善悪亦未だ必ずしも皆然らざるなり、と。
太宗又曰く、月令は既に秦時より起る。三皇五帝は、竝びに是れ聖主なり。何に因りて月令を行はざるや、と。徴曰く、計るに月令は、上古より起る。是を以て尚書に云ふ、敬みて民に時を授く、と。呂不韋は止だ是れ古を修むるのみ。月令は未だ必ずしも始めて秦代より起らざるなり、と。
太宗曰く、朕、比書を読み、見る所の善事は、竝びに即ち之を行ひ、都て疑ふ所無し。人を用ふるに至りては則ち善悪別ち難し。故に人を知るは極めて易からずと為す。朕、比公等数人を使ふ。何に因りて理政猶ほ文景に及ばざるや、と。
徴又曰く、陛下、心を理に留め、臣等に委任すること、古人に逾ゆ。直だ臣等の庸短に由り、陛下の委寄に称ふ能はざるのみ。四夷の賓服、天下の無事を論ぜんと欲せば、古来、未だ今日に似たるもの有らざるなり。文景に至りては、以て聖徳に比するに足らず、と。徴曰く、古より人君初めて理を為すや、皆、隆を尭舜に比せんと欲す。天下既に安きに至つては、即ち其の善を終ふること能はず。人臣初めて任ぜらるるや、亦、心を尽くし力を竭さんと欲す。富貴に居るに及びては、即ち官爵を全うせんと欲す。若し遂に君臣常に懈怠せざれば、豈に天下安からざるの道有らんや、と。太宗曰く、論至り理誠なること公の此の語の如くせん、と。