
司馬徽 |
貞観元年。太宗は会議の席で古来からの政治のやり方について重臣たちと語り合っていた時の事。 |
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太宗 |
今は隋末の大乱の後で民衆の心は荒れ果ててしまっているからすぐには平和で治まった世の中を作り出す事はできそうもないのう。 |
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そんなことはございません。乱後の民衆の方が治めやすいものでございます。
およそ、民衆というものは安楽な状態にあれば、わがまま気ままになります。そうなると、何か事件が起こらないかと乱を思うようになります。乱を思うようになると治める事は困難になります。
逆に現在の民衆のように、命の危険にさらされ困窮している状態にあれば、いつ死ぬかもしれないと心配します。死ぬことを心配すれば平和な世の中を願うようになります。平和な世の中を願っているのですから、教えやすいものです。
乱後の民衆が治めやすいのは飢えた人がどんな物でも食べるのと同じであります。 |

魏徴 |

太宗 |
ふむ・・・。しかし、論語には「善良な人が国を治めると、百年たった後に、不善人の残虐な行為を制圧し、殺伐な風習を去る」とあるではないか。大乱後によく治まった世を作り出すのはすぐには出来ず、百年はかかるのではないか? |
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その論語の言葉は平凡な君主について語ったもので、陛下のような聖哲の天子が教化を行えば上下の者が一心になり、打てば響くように民衆は陛下の教化に応じます。
格別に急がなくても迅速になり、一年で教化することができましょう。ですから、本当に困難ではございません。三年で成功しても遅いと思うくらいです。 |

魏徴 |

太宗 |
なるほどのう。 |
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お待ちくだされ。私はそうは思いませぬ。
そもそも、夏・殷・周の三代以降、民衆の心はしだいに軽薄で真心がなくなってきています。ですから、秦では法律を用いて厳重に民衆を取り締まり、漢では王道だけでなく武力や権力による覇道を併用して民衆を治めたのです。二つの王朝は平和な世の中を作り出そうとしましたが民衆から真心が失われていたために王道だけでは治める事が出来なかったのです。
魏徴は世間知らずの学者であり、彼の言葉は机上の空論でございます。魏徴は現在に必要で適切な政務について分かっておりません。もし、魏徴の意見を信じますと、恐らく国家はどうしようもないほど乱れてしまうことでしょう。 |

封徳彝 |

太宗 |
むむむ。 |
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昔の五帝・三王は悪い前の時代の人民を残らず取り替えて治めたわけではございません。帝道を行えば帝になり、王道を行えば王となりました。その時に人民を教化するやり方いかんであります。この事は古典を紐解けば分かることでございます。
例えば、夏の桀王は暴虐をなしたので湯は桀王を放逐しました。そして、湯の在世中に太平の世が作り出されました。また、殷の紂王は無道をなしたので周の武王に討たれ、武王の後を継いだ成王の世もまた太平の世ができました。この二人の王は前の時代の荒れた人民の全てを取り替えて太平の世を作り出したわけではございません。
もし、封徳彝殿が仰るように古代から人間はしだいに人情が薄くなり真心が無くなっていくもので、太古の純朴には帰らないというのなら、五帝・三王の世から千年二千年と経った今の世の中の人間は怪物になっているべきであります。
そうなってはどうして、教化などできましょうや。 |

魏徴 |

太宗 |
うむ。私は魏徴の意見に賛成じゃ。
これからは帝道王道をもって人民を治めるようにしよう。 |
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(むむむ。魏徴め。さすがに口は達者だわい。しかし、現実は魏徴が思うほど甘くはない。
絶対にうまくいくはずがない) |

封徳彝 |
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封徳彝は理路整然とした魏徴の意見に反論することができなかった。しかし、封徳彝も群臣たちも魏徴のような考えは不可能だと思った。
太宗は魏徴の意見に共感し常に仁義道徳をもって政治を行う事を努力して怠らなかった。その結果、数年のうちに国内は極めて平安に治まった。
時は流れて貞観七年。会議後のくつろいだ時間に太宗は大臣たちに語った。 |
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太宗 |
貞観の初年に群臣はこぞって異論を唱えていた。「今の世には帝道王道のような仁義道徳を重んじる政治を行うことはできません。法律や権力によってびしびしと取り締まらねば、こんな荒れた人民たちは治められません」と、言っていた。その時、ただ、魏徴だけは私に仁義道徳を重んじる政治を行うことを勧めてくれた。
その言葉に従った結果、数年も経過しないうちに国内は安寧になり、遠い異民族までも先方から服従してくるようになった。
突厥は古来から中国の強敵であった。ところが、今は突厥の酋長たちが刀を腰に帯びて宮中に宿営するようになり、突厥の部落では中国の風俗に感化されてすべて中国の衣服を身につけている。
私が少しも武器を使わないで、わずか数年でこのような平和な時代を作り出すようにしてくれたのは全て魏徴の力である。 |
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太宗は魏徴を見つめて言った。 |
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太宗 |
宝石というものは立派な素質があっても石に埋もれて磨かれなければ、瓦や小石と区別がない。しかし、良工に出会って磨かれれば万世の宝物となる。
私には美質はないけれども、そなたによって切磋琢磨された。そなたが私の人格を仁義によって引き締め、道徳によって広めた努力のおかげで私はここまで来る事ができた。例えて言うならそなたは良工としての価値がある。
ただ、残念なことはあの時に反対を唱えていた封徳彝に今の世を見せてあげることができないことだ。 |
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魏徴は再拝して太宗の賛辞を辞退して言った。 |
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匈奴が破滅し、天下が平安になりましたのは自然に陛下の盛徳が国の内外に加わったためでございます。我々、臣下の功績ではございません。
私は我が身が明天子の治められる世に生まれ合わせたことを喜びとするだけであります。
どうして、陛下のご功績を我が物としてむさぼる事ができましょう。 |

魏徴 |
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太宗は微笑んで言った。 |
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太宗 |
私はそなたを信任し、そなたは私の信任に応えてくれたのだ。
だから、この平安の世を作り出した功績は私だけのものではない。
どうして、そなたは面倒くさく表面を飾って遠慮するのだ。
素直に私の賛辞を受けるべきであろう。 |
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