古流剣術 小野流一刀流の形を学ぶ('04.3.4) 


はじめに

35才で剣道を始めて6年が過ぎました。
「剣道―魔法使いへの階段―」は、武道としての剣道の魅力を初心者の視点から書いて、全国海外から沢山の好意的なメールを頂きました。本当にありがとうございました。
今度は、小野派一刀流の形の修行について書きたいと思います。「剣道―魔法使いへの階段―」を先に読んで頂けますと、よりわかり易いと思います。
何の力もない私程度の人間が、小野派一刀流の形について書くことは、本来は許されないことかも知れません。でも(どの世界でも同じだと思いますが)、初心者にしか見えないものもあると信じています。熟練者にとっては、当たり前過ぎて口にもしないことが、初心者には、新鮮な驚きだったり、感動的だったりします。
私の理解は、無論、私個人の理解であり、それは、もしかしたらまるっきり見当違いかも知れません。これから修行を続ける中で、自分でそのことに気が付くかも知れません。そうしたら喜んでそれを書きたいと思っています。
古流の形は、敷居が高い気がします。私自身、自分とは無縁のものだとずっと思っていました。でも、小野派一刀流の形は、本当に素晴らしいものです。私のつたない案内で、その魅力の一端を少しでも伝えることができれば本当に幸せです。
では、どうぞお茶でも飲みながら、お楽しみ下さい。

形(かた)こそ魔法

「小野派一刀流の形(かた)を打つと剣道が変わる」
尊敬する先輩からそう聞いてからもう何年も経つ。迫真の日本剣道形(段審査の時、実技試験がある。)を打つこの先輩の指導で、私の形もなんとなく形(かたち)だけはそれっぽくなってきた。でも私の中で日本剣道形と剣道が直接結びつくことはなかった。

ところが、今年から小野派の形を習って、1ヶ月もしない内に剣道が変わってきた。・・・・・これは、魔法だ!古流剣術は、形だけの稽古で達人になっていったのだという。形には、それだけの秘密がある!

すぐに現れた変化は、@打つ時の腰の安定A手の内の感覚B構えている時の気持ちC「気の攻め」の感じ方D剣道の見方
これから変わると期待しているのは@間合いAハラ(丹田。或いは重心)と腰B呼吸C品ある気迫 
そのずっと先にあるのは、禅僧の目指す精神状態・生き方そのもの・・・・じゃないかと想像するけれど、それは、10年20年後のお楽しみ。

形の即効性の理由の一つは、小野派一刀流の木刀にある。とにかく重い。形の稽古の後、普通の木刀を握ると異様に軽いと感じる。竹刀は重さを感じない。
このとんでもなく重い木刀で、寸止め(数センチ手前でピタリと止める)をせずに本気で打ってしまうのが小野派の形だ。そのために打たれる方は、鬼小手という超厚手の小手を両手に付けるが、そんなもの付けていたって、飛び上がる位痛い。

こんな木刀で本当に打っていると、形(かたち)だけの形(かた)ではすまなくなる。失敗して当たれば、普通の木刀なら、悪くて119番だろうが、小野派の木刀なら110番になる。構えた時の気持ちは、まるっきり違う。
『剣道は命のやりとり』(「剣道講話」小川忠太郎著)という言葉の意味が、生まれて初めて実感できた。

木刀が重いと、いい加減な姿勢で打つことも不可能になる。竹刀ならどんな姿勢でも打てるが、この木刀は、腰が定まらないと振ることができない。木刀に振られて、ヨタヨタとふらついてしまう。今まで「腰で打て」「腰を定めろ」と言われても今ひとつピンとこなかった「腰」の感覚が実感できる。

手の内も同じ。太く重い木刀を振ると、軽い竹刀や木刀では感じられなかった手の内の感覚がよりはっきりとわかる。いい加減な握り方では、小野派一刀流の言う「天から落ちる滝のような打ち」は決してできない。

竹刀を持って向かい合った時、相手の「気の攻め」を以前よりはっきりと感じられるようになったのはなぜだろう?
「形は、気を練るものだ」と師匠は言う。「ハラ(丹田)に気を下ろす・ためる」には、呼吸法も重要だろう。これも形を習っている内に体得できるらしい。
気持ちも「気」の重要部分だ。
「『切り落とし』(小野派一刀流の極意)は、相手の太刀を切り落とすんじゃない。『恐い。死にたくない。自分だけは何とか生き残りたい』という気持ちを切り落とすんだ」と師匠は言う。擬似体験ではあるが、「死」を意識の片隅に置いて形を打っていると、竹刀同士ではありえない「気」のやりとりが、私みたいな初心者にもあるのかも知れない。
そして、そうなると剣道を見る目がまるっきり変わってしまう。試合に強い若い子が、「気の攻め」まったくなしに、抜群の反射神経とスピードで打ってきても、それを羨ましいとは、もう思わなくなった。「試合の勝ち負けと剣道の本質は関係がない」と言った師匠の言葉の意味が、何年も経った今、やっとわかった。
形は奥が深過ぎて恐い。覗き込んだら気絶しそうだ。でももう遅い。もうハマッてしまった。あとは全身全霊で稽古するのみ!

小野派一刀流の木刀の重さ

「小野派一刀流の木刀の重さは、真剣と同じで900グラム程度ある」という記述をインターネットのあちこちで見た。
でも実際には、約650〜800グラムだとわかった。真剣は、1キロ前後。野球の硬式バットが約900グラムなので、一刀流の木刀は、それより若干軽く、真剣は若干重いわけだ。
普通の木刀(白樫・赤樫)は約450グラムと防具屋のカタログにあり、我が家の木刀は510グラムだった。
黒檀の木刀で750グラム。素振り用櫂型の木刀が、850グラム。
竹刀は、女子用で400グラム強。男子用で500グラム強。(たかが400グラムと思うが、振ると遠心力が付く。初心者の頃は、片手で振ることができなかった。)
実際に使ってみると、100グラムの違いはとてつもなく大きい。1キロの刀で命を賭けて戦う剣術と400〜500グラムの竹刀で3本勝負をする剣道では、本質的に違うものにならざるを得ないのではないかと、一刀流の木刀を振るようになってから感じている。

参考になる本

1)「古武道の本―秘伝の奥義を極めた達人達の神業―」 学習研究社発行。
(広くバランスよく紹介し、わかりやすい。腰・丹田・呼吸・間合い等についても短いが理解し易い解説がある。)
2)「武道秘伝書」 吉田豊編 徳間書店 <「兵法家伝書」「不動智神妙録」「一刀斎先生剣法書」「五輪書」「常静子剣談」「天狗芸術論」からの抜粋を集めたもの> 
3)「不動智神妙録」 沢庵禅師 徳間書店 
4)「表の体育 裏の体育」 甲野善紀 PHP文庫
5)「古武術からの発想」 甲野善紀 PHP文庫 

雨降って地固まる

気負って稽古を始めた途端、こけてしまった。突然の左脚の故障。「治んないよ。股関節の形が先天的に悪いんだから」と医者は鎮痛剤入り湿布を一山くれた。やっかいなことに股関節炎は膝と腰まで悪くする。
『な〜に。医者が何と言おうと、こんなもん直ぐに治るに決まってる』と高をくくっていたが、かばって歩く内にアッチもコッチも痛くなり、身体年齢はめでたく古希を迎えた。
稽古もろくにできず何ヶ月も過す間に、左脚の筋肉はすっかり落ちてしまった。不覚だった。痛くても筋トレをし続けなければいけなかったのだと知ったのは医者を変えてからだった。
でも私は楽観していた。形を通して私が目指している剣道は筋力の勝負じゃない。脚力や反射神経で勝つ剣道でなく、「気」で攻め合う剣道なのだから、たとえ脚一本なくてもできるはずだ。でももし私が小野派の形を知らず、試合剣道に生きていたら、布団をかぶって毎日泣いていたかも知れない。出合ったばかりの小野派の形に救われる不思議を思った。
おもゆから始めるようにそろりそろりと稽古を再開し、量こそ激減したが、質は変わった。面を打つ基本稽古でも、以前は、スピードに重点を置いていたと、そうしたくてもできない体になって初めてわかった。今は、いかに重心(気)を臍下(丹田)に落として、そこにパワーを貯め、そこから全身全霊で「攻める」かだけをやっている。呼吸も自然に変わった。
ゆっくりと動き、「素直に大きく」打てという小野派の形は、そのためにこそある稽古だと実感した。
師は、剣道の稽古を常に木刀(普通の。)で始め、タイヤを打たせる。一歩出て、大きく振りかぶって面(タイヤ)を打つという動作を繰り返す。私は、長年何をやってきたんだろう・・と初めて思った。筋トレのごとく力まかせにバシバシ打ってきたのだ。今の今まで。
一歩の中に相手が後ずさりするような「攻め」を込め、小野派の言う「天から落ちる滝のような」面を打つ。タイヤを打つことが、こんなにも奥深く、こんなにも難しいことを知らなかった。
久しぶりに私の稽古を見た人が言った。「なんだ脚が悪くなる前より良いじゃないか。肩の力が抜けたよ」。脚力も体力もスピードもまだ戻らないし、もう戻らないのかも知れないとも思う。それでも、長年七転八倒して抜けなかった肩の力が抜けたことは自分でもわかる。
捨てようと稽古しても意志の力では捨てられなかったものが、故障によってもぎ取ってもらえた訳だ。捨てようとしてもどうしても捨てられなかった勝ちたい打ちたい当てたいという気持ちが、故障によって消えた。人生は面白い。






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