U('03.7.12更新)


「死」という困難が目の前の立ちふさがった時   力を与えてくれる言葉・詩・本を紹介します。

「死」について考えることは、「生」について考えることだと思います。自分にとって意味のある言葉との出会いがありますように・・・。                   

―言葉・詩― 「八木重吉詩集」 「道元の読み方」「聖書・詩篇」(5月11日追加)                        

―本―「死、それは成長の最終段階 死ぬ瞬間 続」 「死ぬ瞬間 死とその過程について」 「神との対話」 「死んで私が体験したこと」 「死ぬ瞬間の言葉」    「いのちの器」 『中村元「老いと死」を語る』 「剣の道人の道」「アミターバ―無量光明」(7月12日追加)(少しずつ増やしています。)

― 言葉・詩 ―

「八木重吉詩集」

『窓をあけて雨をみていると なんにも要らないから こうしておだやかなきもちでいたいとおもふ』    『雨は土をうるほしてゆく 雨といふもののそばにしゃがんで 雨のすることをみていたい』          『雨のおとがきこえる 雨がふっていたのだ あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう 雨があがるようにしづかに死んでゆこう』           

(明治の詩人。結核のため29歳で夭折。)

「道元の読み方」 栗田勇著

『「君看双眼色 不語以無憂」、君みよや双眼の色、語らざれば憂(うれ)いなきに似たり。これは良寛がしばしば好んで書いた言葉です。黙っていると何も苦しみがないように見えるけれど、実はそこに無限の苦しみが含まれている。」                  

(祥伝社ノンブック。「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」を分り易く書いた本。「生死(しょうじ)」の巻の言葉を「様々な宗教から こころに響いた言葉」に掲載。)

「聖書・詩篇」

『人は、そのよわいは草のごとく、その栄えは野の花にひとしい。風がその上を過ぎると、うせて跡なく、その場所にきいても、もはやそれを知らない』     

(詩篇103・15−16)

― 本 ―

「死、それは成長の最終段階 死ぬ瞬間 続」  E.キューブラー・ロス著

『苦しみはあまりに大きい・・・でも、私はそれに耐えよう。 これほど深く愛していなかったら これほど深く心を痛めることはあるまい。 だが、私はあの貴い愛を 寸分たりとも捨てるつもりはない。 私の心は痛む しかし、その痛みに感謝しよう それは私たちの存在の意味の深さの証なのだから。 だから私はそのことを 永遠に感謝しよう。』                

『死は避けることができない。人は誰もいずれは死ぬ。たんに時間の問題にすぎないのだ。死は、誕生と同じく、人間の存在と成長発展の一部である。(略)死は、打倒すべき敵でもなければ、そこから逃げ出す牢獄でもない。死は人生の必要不可欠な部分であり、人間の存在に意味を与えるものである。(略)死とは、目には見えないが、親切な、人生の旅路の道連れであり、本当にしたいことは先送りしてはいけないのだということを優しく気づかせてくれる友なのだ。』   

『死とはこの世での成長の最終段階である。死によってすべてが滅びるのではない。死ぬのは肉体だけである。自己、あるいは魂(どう呼んでもかまわない)は永遠である。気持ちの安らぐようなかたちで、人それぞれ自由に解釈すればいいのである。自分の気持ちや行為の一つひとつが、自分と関係のある人たちに影響を与え、その人たちがまた他の人たちへ影響を与えるというように、次々に広がっていく影響というかたちで、人間は寿命が尽きたあとでも永遠に存在し続けると考えてもいい。たとえば、出会った人に微笑みかけたり、励ましの言葉をかけたりしたことが、さざ波のように広がって誰かに影響を与えているということを、あなたは知るまい。』                

(中央公論新社発行。文庫版。著者は末期医療に多大な影響を与えた精神科医。近年、鈴木晶が訳し直し大変読みやすくなった。)

「死ぬ瞬間 死とその過程について」           E..キューブラー・ロス著

『死はますます孤独で非人間的なものになりつつある。それは、患者が、慣れ親しんだわが家から運び出され、緊急救命室に急送されるからだ。(略)私たちは、シーツと毛布の下にいる患者のことをもっと考え、(略)大騒ぎはやめ、患者の手を取り、やさしく微笑みかけ、質問に耳を貸したほうがいいのではないか。(略)私はこの出来事を家にいる病人と対比させて、おおげさに述べている。だが、入院すれば助かる命を助けてはならないなどと言っているのではなく、患者の経験・要求・反応に焦点を合わせようと言っているのである。』                          

『「言葉をこえる沈黙」の中で臨死患者を看取るだけの強さと愛情をもった人は、死の瞬間とは恐ろしいものでも苦痛に満ちたものでもなく、身体機能の穏やかな停止であることがわかるだろう。人間の穏やかな死は、流れ星を思わせる。広大な空に瞬く百万もの光の中のひとつが、一瞬明るく輝いたかと思うと無限の夜空に消えていく。(略)一人ひとりが唯一無二の存在であることがわかる。そして(略)寿命には限りがあることを改めて認識させられるのだ。』          

(中央公論新社発行。文庫版。末期患者の心理を解説した69年出版の名著。鈴木晶の改訳。)

「神との対話」ニール・ドナルド・ウォルシュ著

『医師や看護婦にとって、死は失敗なのだ。友人や親戚にとって、死は災いだ。ただ魂にとってだけ死は救い、開放だ。
死にゆく者への最大の贈り物は、安らかに死なせてやることだ。(略)まだ生きると言い、まだ生きられると信じていると言うひと、生きたいと祈っているひとでさえ、魂のレベルでは、「気が変わっている」ことがしばしばある。
魂が身体を捨てて自由になり、べつの探求の旅に出るときがきた、と決意したら、身体が何をしても決意をひるがえすことはできない。精神が何を考えても、変えることはできない。(略)
身体を去ることは、魂にとってはべつに悲劇ではない。いろいろな意味で、身体にとどまるほうが悲劇だ。だから、魂はまったくべつの見方で死を見ている。それを理解しなくてはいけない。』

(サンマーク出版発行。普及版@。題名から「まゆつばな本」と思っていたが、実際には、より良く生きるための多くの新しい視点を与える良書。)

「死んで私が体験したこと」ベティー・イーディー著

『「あなたがたは、この世にあっては、暗い体験も明るい体験もどちらも必要だったのです。喜びがわかるようになるには、悲しみを知らなければいけません」(略)
これまでの人生で、本当に取り返しのつかない過ちなど、なにひとつなかったのです。ひとつひとつの体験がわたしを成長させてくれる材料になっていました。ひとつひとつの不幸な体験をとおして、わたしは自分自身のことがはっきり見えるようになりました。その結果、こうした不幸な体験からやっと解放されることができました。また隣人を助ける力が自分についてきていることもわかりました。』              

(同朋舎出版発行。鈴木秀子教授訳。安らぎと感動に満ちた臨死体験の本。著者は「光の存在」から「人生の目的は、互いに愛し合うこと」と知らされ、生還した。原題"Embraced By The Light"。米国でベストセラーに。)

「死ぬ瞬間の言葉」M.キャラナン/P.ケリー著

『命は永遠。愛は不滅。死は単なる地平線。地平線は視野の限界を表わすにすぎない。(ロシッタ・ワージントン・レイモンド)』                    
『臨死意識のメッセージを聞けば、死はもう孤独なものでも怖いものでも太刀打ちできないものでもないことがわかる。死にゆく人は安らぎの芽を育むことができるのだ。(略)末期患者はもの言わぬ不幸な人ではなく、教師である。影のような存在ではなく希望の灯である。憐れみやさげすみの対象ではなく、この世の果てを垣間見せてくれるひとりの人間なのである。』 

(二見書房発行。原題:Final Gifts。著者はホスピスの看護婦。死を目前にした患者が発する意味を掴みにくい言葉やジェスチャーに注意を向け、理解することによって、お互いに心安らかな豊かな日々を共有できるという。実例を多くあげ、読みやすく、感動的。)

「いのちの器」 日野原重明著

『人間のからだはしょせん、やがては土に帰る「土の器」である。その土の器に何を入れるか、そのことは生涯を通して問い続けなければならい。(略)    
 からだは老化し、最後に病むことがあっても、もし健やかな心をからだに宿らせ続けることができれば、老人は自分の周囲からの庇護に感謝し、謙虚に過去の足跡を顧みつつ、今日も生かされたことに対して、感謝の祈りをささげることであろう。              
たとえ不幸にして、その生涯の中で長い闘病生活を余儀なくされても、もし病むそのからだに、健やかな心を宿すことができれば、それは朽ちない宝を天につんでいる人となれよう。』                  

(新装版。PHP文庫。著者は聖路加国際病院名誉院長。90歳をこえて現役医師として活躍されている。私の最も尊敬する医師。)

『中村元 「老いと死」を語る』 中村元著

『「生きる」ということは「時間」そのものです。そしてまた、インドの古典語(サンスクリット語)においては、生きるということは死を意味しています。たとえば、生きることを元の言葉で「カーラ」といいますが、それは「時間」とともに「死」をも意味しています。また、インドの言葉で時間が経つことを表わす「カーナムカローディ」という言葉は、「死ぬ」という意味でもあります。つまり、時間とは死を含むものであります。生というものが死に裏づけられたものであり、生は裏に死を秘めているものであるということがいわれるわけです。』

(麗澤大学出版会発行。著者はインド思想・仏教思想の研究者として高名。)

「剣の道人の道」 岡村忠典著

『(略)この日以降、床から出られることはなかった。座禅をやめた頃から、「食べ物は何もいらん」と言われ、二十七日、ヨーグルトを一口おいしそうに食べたのを最後に食べ物は一切口にせず、水だけしか飲まなかった。伊藤元明先生から「いつでも入院できるよう手配してあります」と言われていたが、その気はなかった。(略)奥様も「最後の頃は楽しそうないい顔をしていましたね。そういえば、その頃、『夕べ夢を見たよ。剣道をしていてね、いい面が打てたよ』と言っていました」とおっしゃられた。
亡くなられる二日前、小川先生はご家族を集められ、奥様と五人の子供たち一人ひとりにお別れをした。「葬儀は質素に家族だけで・・・兄姉仲良く、お母さんを大切に・・」と短い遺言を残された。(略)自分で(略)戒名も用意しておられた。この日、かかりつけの竹内医師が来られ、栄養補給のため点滴を勧めたが、丁寧に断られた。
逝かれる前日、「口をゆすいで着物を着替えるから起こしてくれ」と言われた。(略)終始布団を背にして黙想しておられた。半眼で座すお姿は、「そのまま幽玄の境に入ったような崇高な姿でした」(略)。この日は、先生のお好きな、燃えるように見事な夕焼けが西の空を染めていたという。翌平成四年(略)道人・小川忠太郎先生は眠るように悠々と昇天された。(略)辞世の歌は、「我が胸に 剣道理念抱きしめて 死にゆく今日ぞ 楽しかりけり」である。』                 

(財団法人・日本武道館発行。ベースボール・マガジン社発売。剣道人である著者が、剣道修行から学んだ「人の道」について書いた良書。小川忠太郎自身も「剣道講話」「百回稽古」などの名著を遺している。)

「アミターバ―無量光明」玄侑宗久著

『「アミターバ。つまり無量の光。あるいはアミターユス。阿弥陀さんですよ。いいですかお母さん、極楽浄土ってのは、なにか私らには計り知れない存在の意志や思いが実現している場所らしいんですよ。それを疑わないことです」
「神様とか仏様ですやろ。私、信じますよ」
「それなら大丈夫です」(略)
「せやかてなあ、雪の結晶が必ず六角形になるのだって、その計り知れない力とちゃいますか?」(略)
しかし結局私に理解できたのは「宇宙の総エネルギーは一定」だということくらいではなかっただろうか。それはなんとなく安らかな気分になる話だった。(略)
「だから大部分のエネルギーは使われずに残るんだろうと思うんですよ。その分が、阿弥陀さんと呼ばれる力に集約されるんじゃないですかねえ。それこそ膨大なエネルギーが、いわゆるアミターバと呼ばれる浄土を出現してるのかもしれないですよね」  
なんとも不思議な気分だった。もちろん慈雲さんみたいな考え方はまともな坊さんならしないだろう。悪いけど、お調子者で不謹慎なのは自分に似てると思いながら私は聞いていたのだ。その話は極端に言えば死ぬことが楽しみになるような内容だった。』                                                

(新潮社発行。著者は、芥川賞受賞のお坊さん。死を描いているのに清々しい心安らかな気持ちになる。)




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