様々な宗教から こころに響いた言葉 ('02.10.16)


色々な宗教には光を与えてくれる言葉があるはず

多くの日本人がそうであるように、私も宗教にはあまり縁がありません。しかし治らない病と生きる時、大きな困難の時、人は、宗教について深く考えることがあります。
私もホスピスでボランティアをしていた時、宗教についてもっと知りたいと思うようになりました。特定の宗教にはこだわらず、こころに響いた言葉を少しづつ紹介していきたいと思います。現在、仏教、キリスト教、道教の本からの引用を掲載しています。        

(宗教に関しては、まったくの「初心者」で、それ程多くの本を読んでいるわけではありませんのでご了承下さい。ここには、誰にでもわかる易しい言葉だけを集めています。)

ここで紹介する禅僧ティク・ナット・ハンについて

最近、心理学の本からベトナム出身フランス在中の禅僧・詩人のティク・ナット・ハンを知り、その著書に驚いています。難解だと思っていた仏教の教えの真髄を小学生でもわかる易しい、しかし深く、美しく、心に染みとおる言葉で説いているからです。禅の修行(瞑想)も、微笑むこと、ゆっくりと意識して息をすること、心を込めて家事・雑事をすることなど、今すぐ始められるものでした。それはとても新鮮でした。             

 Thich Nhat Hanhは、欧米でダライ・ラマと並ぶ仏教指導者として有名だそうです。コロンビア大学・ソルボンヌ大学で教鞭を執り、マーティン・ルーサー・キング牧師によってノーベル平和賞に推挙されたそうです。英仏語の本は何十冊もあり、すぐ入手できます。しかし邦訳された本は十冊程度で、絶版になった本もあります。
最も初心者に向く「マインドフルの奇跡」も図書館か古本屋にしかありません。中高生でも読める本当に易しい英語で書かれていますから原書も推薦します。(The Miracle of Mindfulness)。入手できるものでは「微笑みを生きる―<気づき>の瞑想と実践」(Peace is Every Step)が初心者向きで、翻訳もこなれています。教義について深く知りたい方は「生けるブッダ、生けるキリスト」が2つの宗教の理解に役立つと思います。

追 記 (10月16日)

ティク・ナット・ハンの本は、「呼吸法」のコーナーと「こころに響いた言葉 U」のNo.48でも紹介しています。

禅仏教の色即是空(相互共存)

『もしもあなたが詩人なら、この紙の上に雲が浮かんでいるのが、はっきり見えることでしょう。雲がなければ雨は降りません。雨が降らなければ、木は育ちません。そして木がなければ紙はできないのですから、この紙がこうしてここにあるためには、雲がなくてはならないのです。もしここに雲がなかったなら、ここにこの紙は存在しません。(略)この一枚の紙の中には、あらゆるものが入っているのです。ここにないものをひとつでも捜すことはできません。時間、空間、地球、雨、土壌の中の鉱物、太陽の光、雲、川、熱・・・すべてのものが、この一枚の紙の中に共存しているのです。(略)「ここにある」とは「ともにある」ことです。私たちが、あるいは、何かのものが、ただ自分だけで存在するということはありえないのです。私たちは、ほかのすべてのものとともに存在しているのです。一枚の紙がここにあるのは、ほかのあらゆるものがここにあるからなのです。』 

(「微笑みを生きる <気づき>の瞑想と実践」ティク・ナット・ハン著。春秋社発行。「一即多、多即一」、すべてのものがつながって相互共存しているという仏教の考え方をinterbeingという造語で表している。)

禅仏教の正念・「今、ここ」

『皿を洗うときは、皿を洗うことだけをするべきです。(略)わたしがここに立って皿を洗っている―これは実際、驚くべきことです。そのとき、わたしは完全にわたし自身であり、呼吸をたどり、自分の存在や考えや行為に気づいています。こうすると、波にゆられるビンのように、あちこち心がさまようこともないのです。(略)もし皿を洗っているあいだ、食後のお茶のことばかり考えて、わずらわしいことのように急いで片づけてしまおうとするなら、(略)その時間は本当に生きているともいえないのです。実際それでは、皿を洗う時にいのちの奇跡を実感することなど、とても不可能です。皿を洗うことができなければ、おそらくお茶を飲むこともできないでしょう。お茶を飲みながら他のことばかり考えて、手にしたカップなどほとんど気づきもしないからです。このように、わたしたちは未来に心を奪われ、このひとときを本当に生きることができないでいるのです。』

(「マインドフルの奇跡」。ティク・ナット・ハン著。壮神社発行だが絶版。「正念」―今、ここに心をとどめる状態―をmindfulnessと訳している。)

正念: 大切な時・人・ことは?

『皇帝の心に3つの問いが浮かびました。その答えを知ることができたら、もうどんな問題にも迷うことはないだろう、と皇帝は思いました。その問いとは、ことを行うのにもっとも適したときはいつか? ともにことを行うのにもっとも大切な人とはだれか? 常になすべきもっとも大切なこととは何か? というものでした。皇帝は国中におふれを出して、「この問いに答えられた者には、すばらしい褒美を与える」と告げました。
(略)覚えておきなさい。「もっとも適した時」とは1つしかなく、それは「今」だということを。今このときだけが、わしらが自由にできる唯一のときなのだ。また「もっとも大切な人」とは、おまえがいっしょにいる人、目の前にいる人のことだ。お前が将来だれか別の人とかかわるかどうか、だれにもわからないのだから。そして「もっとも大切なこと」とは、おまえのすぐそばにいる人を幸せにすることだ。それだけが人生で追求すべきことなのだよ。』 

(「マインドフルの奇跡」ティク・ナット・ハン著。トルストイの「皇帝の3つの問い」という話を引用。常にマインドフルの状態を保ち、まず身近な小さなことからできなければ、それ以上のどんなこともできないと説く。)

慈悲について (5月23日)

『みなさんはレタスを植えて育ちが悪くても、それをレタスのせいにはしないで、なぜうまく育たないか原因を考え調べてみるでしょう。肥料が必要なのか、とか、(略)いろいろ考えてみて、決してレタスのせいにはしないと思います。
しかし友人や家族とのあいだに問題が起きると、すぐにそれを相手のせいにしてしまいます。
(略)相手を責めても決してよい結果は生まれません。議論したり理由をあげつらって相手を説得しようとしてもむだです。それは私が経験的に学んできたことです。責めない、理屈をこねない、議論しない。相手を理解してあげるのです。あなたが理解していることを示せたら、相手を大切に思えるのです。そうすれば状況は必ず変わるはずです。』 

(「微笑みを生きる <気づき>の瞑想と実践」。ティク・ナット・ハン著。春秋社発行。)

慈悲: 自分を苦しめる人 (6月18日)

『慈悲の本質は理解する心であり、他人の身体的、物質的、そして心理的苦悩を理解する力です。(略)また自分を苦しみに引き込む人たちの苦悩も瞑想してみてください。他人を苦しめる人は必ず自分も苦しんでいるのです。(略)その人もまた犠牲者なのです。』                            
 『あるとき私たちは、小さな難民ボートの少女が海賊に強姦されたという手紙を受けとりました。この少女はまだ12歳でした。この直後、彼女は海に飛び込んで自殺してしまったのです。はじめてこのような事件を聞くと、だれでも海賊に激怒します。ひとりでに少女のがわに立ってしまいます。しかしもっと深く見つめてみたら、この事件はちがったふうに見えてきます。この少女のがわに立つのは簡単なことです。怒りに燃えて銃をとって海賊を殺せばおしまいです。
(略)もしあなたや私が、きょう、このような貧しい漁村に生まれたら、私たちは25年後には海賊になっているでしょう。銃をとって海賊を殺したら、私たちは自分たちを撃ち殺すことにならないでしょうか。なぜなら私たちはみんな、程度の差こそあれ、そのような状況に責任があるからです。』

(「微笑みを生きる <気づき>の瞑想と実践」。ティク・ナット・ハン著。春秋社発行。)

仏陀の教え

『自分を守りいたわることがまず大切で、他人が彼ら自身の面倒をみることについては心配しなくてよい、ということです。他人のことを気にかける癖は、恨みや心配を生みやすいのです。
(略)注意深く心をとどめる人が家族に一人いれば、その家族全体がもっと注意深く生きるようになります。心をこめて生きる人が一人いることで、家族全体が心をこめた生き方に気づかされるのです。
(略)平和のために活動しているグループの中でも、これと同じ法則に従わなければなりません。つまり、まわりの人が全力を尽くしていなくても、それを気にかける必要はないということです。
むしろ、どうしたら自分が人の役に立てるかを考えましょう。自分で全力を尽くすことこそ、まわりの人が全力を尽くすようになるいちばんの方法なのです。(略)マインドフルに生きてこそ、広やかな心と慈愛のまなざしをもって、すべての人を見ることができるようになるのです。』

(「マインドフルの奇跡」。ティク・ナット・ハン著)

仏陀の教え

『(コーサラ国の)王が王妃に尋ねた。「(略)あなたが一番愛しているのは誰なのか?」(略)王妃は仏教徒であったので「わたしが一番愛しているのは私自身です」と答えた。(略)次の日、二人は、仏陀に会いに行った。
仏陀は次のように言った。
「どの生命ある存在も自分をもっとも愛する。自分自身を最も良く愛する者が、最も良く他者の存在を理解し、他者の存在自身を愛する。そして自分を愛する最良の方法は自分を搾取しないことだ。もしも貪欲と憎しみと妄想を育てれば、それがもっとも自分を搾取していることになる」と。
自分を愛することこそ自由への第一歩なのだ。仏陀が王と王妃にその次の段階は自分が人よりも優れていると思わないことだと伝えた。
他者に対して優れていないという感覚を実践できるものであれば、同時に他者に対して劣ってもいないという感覚を得られるであろう。そして究極的にはわれわれは他者と等しくないという感覚を身につけることを教えられる。そしてはじめてわれわれは二元論の世界を越えることができる。いったん二元論を超越すれば間在(interbeing)が可能になる。それこそが真の自由なのだ。』

 (「愛という勇気」副題:自己間関係理論による精神療法の原理と実践。スティーブン・ギリガン著。言叢社発行。引用は、スラク・シヴァラスカSulak Sivaraskaの文章。二元論は、生死・善悪・優劣などものごとを2つに分けて見る考え方)

生死について(瞑想方法) (5月18日)

『自分が宇宙の中にあり、宇宙が自分の中にあることを、しっかり心にとめましょう。宇宙が存在してこそ自分も存在し、自分が存在してこそ宇宙も存在するのです。そこには誕生もなく、死もありません。あらたに生ずるものもなければ、消え去るものもないのです。』 

 『横たわります。(略)静かに呼吸をととのえます。それから、自分の体が白骨になって、地面に横たわっているところを想像してください。ほほえみを浮かべて、静かに呼吸を続けましょう。葬られて80年がたち、その肉体はすでに朽ち果て、地中に骸骨となって横たわっています。その骨を(略)しっかり見て下さい。(略)心穏やかにほほえみながら、静かに呼吸を続けます。この骸骨があなた自身ではないことに気づいてください。あなたの肉体はあなたそのものではないのです。そして生きとし生けるものと一つになりましょう。木々や草、他の人びと、鳥や獣たち、空や海や波―それらの中に永遠に生きるのです。この骸骨はあなたのほんの一部にすぎません。あらゆるとき、あらゆるところに、あなたは存在しています。あなたは単に、肉体としてのみ存在しているのではありません。まして感情や思考、行動や知識があなたでもないのです。』 

(「マインドフルの奇跡」ティク・ナット・ハン著。様々な瞑想方法について書かれたものから抜粋。)

道元の「生死(しょうじ)」 (7月5日)

『「ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいえになげいれて、仏のかたよりおこなわれて、これにしたがいもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもついやさずして、生死をはなれ、仏となる。」     
(略)全部自分を捨ててしまう、そのとき、本当の真相があらわになって、それが人間を向こうから明らかにしてくれる。だから、なにも力むことはないのだ。そのまま生死を離れ、仏となることができる。したがって、ただわが身をも、心をも、はなちわすれるということが、大事なのです。』

(「道元の読み方―今を生き切る哲学―『正法眼蔵』」。栗田勇著。祥伝社ノン・ブック。梅原猛が推薦の言葉を書いている。分り易い。)

「任(まか)す」こと。運に任す、天に任すことの大切さを説いているという。なんとかして死を受け入れようとか、生を充実させようとか、後顧の憂いをなくそうと、頑張ったり、力むことは止め、”浮き身”になって、ただ”いまを生きる”ことだという。

キリスト教:アッシジの「聖フランシスコの祈り」

『主よ、貧困と飢えのうちに生き死ぬ 世界中の同胞のために働く私たちを そのことにふさわしい者にしてください 私をあなたの平和の道具としてお使いください                            

 憎しみのあるところに愛を 争いのあるところに許しを 分裂のあるところに一致を 疑いのあるところに信仰を 誤りのあるところに真理を 絶望のあるところに希望を 闇に光を 悲しみのあるところに喜びを もたらすものとしてください                

慰められるよりは慰めることを 理解されるよりは理解することを 愛されるよりは愛することを 私が求めますように                            
わたしたちは与えるから受け ゆるすからゆるされ 自分を捨てて死に 永遠の命をいただくのですから』

(「マザー・テレサ あふれる愛」沖守弘著。亡きマザーの修道会で毎朝唱えられる祈り。聖フランシスコ<聖フランチェスコ>の伝承は、ティク・ナット・ハン著「生けるブッダ、生けるキリスト」にも出てくる。真冬に聖フランチェスコが「神について語っておくれ」とアーモンドの木に呼びかけると、たちまち満開の花を咲かせたという。)

徳について(マザー・テレサの言葉)

『もしも私たちが謙遜ならば、ほめられようと、けなされようと、私たちは気にしません。もし誰かが非難しても、がっかりすることはありません。反対に、誰かがほめてくれたとしても、それで自分が偉くなったように思うこともありません。』

(「マザー・テレサ 愛と祈りの言葉」マザーテレサ著。)

新約聖書 ルカによる福音書

『敵を愛し、憎む者に親切にせよ。のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪う者からは取りもどそうとするな。                      
人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。自分によくしてくれた者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、それくらいの事はしている。また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。                                
しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。     
人をさばくな。そうすれば自分がさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分が罪に定められることがないであろう。       
ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。                            
あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから』

新約聖書 マタイによる福音書 (6月13日)

『「私の父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国(みくに)を受けつぎなさい。                     
あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである」。        

そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう。「主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食べ物をみぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか」。すると、王は答えて言うであろう。「あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」。』                               
(この一節を解説した曽野綾子の言葉:『(神は)あなたの目の前にいる者のなかにいる、と教えられたのです。(略)健康とか、権力とか、知識とか、美貌とか、運動能力とか、何でもいいのですが、とにかく、そういうものが何もない。(略)そういう人のなかに私はいるのだ、とおっしゃっているわけです』。「現代に生きる聖書」NHK人間講座2000年のテキストより)

道教:老子の無為自然

『欠けているから、完全になる。まがっているから、まっすぐになる。うつろだから、満ちる。古いから、新しくなる。少なければ得、多ければ失う。これが自然の法則である。』(22章。「老子・列子」。徳間書店発行。)   

『生死はいわば出入りである。「無」から「有」に出れば生、「有」から「無」に入れば死。生も死も、ひとしく「道」の現われで、本質的な差はないのだ。生物には、長命なものもあれば短命なものもあるが、生死はそれぞれに自然である。』(50章)              

『およそ何が柔らかい、弱いといって、水ほど柔らかく弱いものはない。そのくせ、堅く強いものにうち勝つこと、水にまさるものはない。これは、水が弱さに徹しているからだ。弱は強に勝ち、柔は剛を制する。』(78章。)  

『最高の善とは水のごときものをいう。水は万物を助け育てながらも自己を主張せず、だれしも嫌う低きヘ低きヘとくだる。だから、「道」に似ているといってよい。水、それは、位する所は、低い。心は、深く静かである。あたえるに、わけへだてがない。言動に、いつわりがない。おさまるべきときには、必ずおさまる。はたらきは、無理がない。時に従って変転流動して窮まることがない。』(8章)            

(「こころに響いた言葉」のコーナーでも紹介(No.40)。老子の原文はたった5千字。「大器晩成」「千里の道も一歩から」など、慣用句になった言葉も多い。)




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