V No.59〜('03.7.12更新)


74. 7月12日「豊かさの精神病理」大平健著

『残っていたみにくい仔猫は、自分が愛を受けるのにふさわしくないと思っていた猫です。この猫が、結局は、老夫婦の愛を受けます。そして、その愛にふさわしく美しくなるのです。つまり、愛を受けたものがその愛にふさわしくなるのであって、愛にふさわしいものが愛を受けるのではないのです。』

(岩波新書。精神科医による「モノを求める人・社会」への考察)              

今、目の前にいる人の顔は、自分の顔を鏡のように映している・・・。頭では理解しているつもりでも、私は、懲りもせずに家族とよく睨み合っています。『そちらが反省し、微笑めば、こちらも許し、笑顔を見せてやろう』とお互いに思っているのですから、にらめっこは果てしなく続いていきます。にらめっこを終わりにするには、自分が微笑むしかありません。

73. 4月1日「日日是好日」 森下典子著

『(略)どこまで遠くへ行っても、そこは、広がった自分の裾野だった。ずーっとここにいたし、どこかに行く必要もなかった。してはいけないことなど、何もない。しなければいけないことも、何もない。足りないものなど、何もない。(略)「雨の日は、雨を聴きなさい。心も体も、ここにいなさい。あなたの五感を使って、今を一心に味わいなさい。そうすればわかるはずだ。自由になる道は、いつでも今ここにある」(略)過去や未来を思う限り、安心して生きることはできない。(略)「いろんなことがあるけれど、気長に生きていきなさい。じっくり自分を作っていきなさい。人生は、長い目で、今、この時を生きることだよ」』       

 (飛鳥新社発行。副題:「お茶」が教えてくれた15のしあわせ」)         

40才になってわかったことがたくさんあります。10年という年月の短さ。そして10年のブランクなど、一生の中では何でもないのだということ。長い寄り道が自分には必要だったのだということ。不運・不幸と思っていたことが、たくさんの素晴らしいものを与えてくれたこと・・・。50、60になったら、きっともっと色々なことがわかるのでしょう。そしてすべてのことをもっと深く味わえるようになるのだろうと思うようになりました。

72. 3月26日 MAYA MAXX

『無心とは、自分を 他人を 世界を信じること』   

(画家。彼女を特集した番組の中で紹介された言葉)    

無心で筆を動かす時、自分が書いたとは思えないような文字や絵が現れます。無心から生まれた剣道の一打も、やはり再現のできない会心の一打です。     でもどうしたら無心になれるのかは、長年謎でした。何を無にすればいいのかわからなかったのです。MAYA MAXXの言葉を聞いた時、無心とは、不安・疑いが無いことではないかと思いました。赤ちゃんが、にっこりと微笑むように、柔らかく、気持ち良く、すべてを委(ゆだ)ねられることではないかと思いました。それがまた難しいと言えば難しいのですが・・・。   でも「無心!無心!」と眉間にしわを寄せるより、赤ちゃんの微笑みや、例えば陽に干した布団の気持ち良さ、あたたかさ、柔らかさを思い浮かべた方が、無心に近づき易いような気がしてきました。どんなにちっぽけで欠点だらけの自分であっても、何となく受け入れられそうな、信じられそうな気がしてきます。

71. 3月10日「古寺巡礼」和辻哲郎著

『わたくしたちはただうっとりとしてながめた。心の奥でしめやかに静かにとめどもなく涙が流れるというような気持ちであった。ここには慈愛と悲哀との杯がなみなみと充たされている。まことに至純な美しさで、また美しいとのみでは言いつくせない神聖な美しさである。』

(岩波文庫。中宮寺の観音菩薩像―国宝―について書かれた部分抜粋。)                          

米国でホスピス・ボランティアとして毎週訪ねていた患者さんの中に90を越える女性がいました。初めて訪問した時、「お前といるとヘドが出るよ!」と怒鳴った個性派です。難聴のために会話を交わすこともままならなかったのですが、その後、私が訪ねる度に嬉しそうに微笑んでくれました。                  彼女の枕もとには大きなキリストの絵が掛かっていました。その絵を見ることと窓の外の景色を眺めることだけが、彼女の日常の楽しみでした。キリストは彼女と同じ褐色の肌に描かれていました。          私は、いつか病の床についたら土門拳の撮った中宮寺の観音菩薩像を枕もとに飾りたいと思っています。その像も彼女のキリストと同じ、つややかな黒い肌をしています。

70. 3月1日「なめとこ山の熊」宮沢賢治著

『小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになってもう一ぺん向ふの谷の白い雪のやうな花と余念なく月光をあびて立ってゐる母子の熊をちらっと見てそれから音をたてないやうにこっそりこっそり戻りはじめた。風があっちへ行くな行くなと思ひながらそろそろと小十郎は後退りした。くろもぢの木の匂が月のあかりといっしょにすうっとさした。』                   

(生きることの哀しみを これほど深く透明に描き切った作品を他に知らない。黒文字は昔、葬儀の際に使われ、その香りは「死」を連想させるという解説を以前読んだ。茶道ではお菓子を取って食べるのに使用する大きな楊枝を黒文字と呼ぶ。)     

最近、生まれて初めて黒文字の匂いをかぎました。小さな枝をパキンと折った途端に、その小さな切り口から、驚くほどの芳香が現れるのです。花の香りのような甘さはなく、お香のような臭みもなく、本当に清々しい香り・・・。この世のものとは思えない芳(かぐわ)しさです。嗅覚がこれほど強い快感とつながることを初めて知りました。山には黒文字が群生している所があるそうです。この世には、まだまだたくさんの未知の世界、素晴らしい世界が広がっているようです。

69. 2月20日『「死ぬ瞬間」と死後の生』キューブラー・ロス著

『この世に唯一残っている正直な人々は精神病患者と幼児、それに末期患者です。』              

(中公文庫。著名な精神科医である著者とその著書については「生死の時、光を見つける本と言葉U」のコーナー参照。同著の中にはヴァージニア・サターの次の言葉も紹介している。『わたしはあなたを/束縛せずに愛したい/判定せずに称賛したい/侵入せずに結ばれたい/強制せずに誘いたい/後ろめたさなしに別れたい/責めることなく評価したい/見下すことなく助けたい/あなたも同じようにしてくれたら/ふたりはほんとうに出会い、おたがいを豊かにできるでしょう』)                               

幼児から大人までを対象に英語を教えることになり、久しぶりに幼児と向き合う時間を持つようになりました。自分の育児経験から考えると、「幼児=大変」でした。ところが今、幼児と向かい合うと、自分の心の澱(おり)が洗い流される気がします。気難しい子も元気過ぎる子も、皆、うそがなく、気持ちが良いのです。水のように透き通っていて、柔らかく、生き生きと輝いています。彼らに導かれて、私の中の固まりかけた部分もほぐれ、動き出すのを感じます。それが楽しくて、面白くて、嬉しくてしかたがないこの頃です。

68. 2003年2月3日「人生について」小林秀雄著

『宮本武蔵の独行道のなかの1条に「我事に於て後悔せず」という言葉がある。(略)自己批判だとか自己清算だとかいうものは、皆嘘の皮であると、武蔵は言っているのだ。(略)後悔などと言うお目出度い手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ、そういう確信を武蔵は語っているのである。それは、今日まで自分が生きて来たことについて、その掛け替えのない命の持続感というものを持て、という事になる(略)』

(「私の人生観」より。中央公論社発行。中公文庫。)     

子供のころ親に注意されたことを30年以上も経って夫に注意されます。若い頃は自分の欠点が嫌いで、必死になって「違う人間」になろうとしていました。でも結局、根っこは何も変わってはいなかったのです。   30年経っても欠点が変わらないのなら、これからの30年は、自分の良い部分を活かせる道を一心に探していこうと思っています。

67.10月30日「Amazing Grace〜風に立つライオン」さだまさし作詞・作曲

『(略)ナイロビで迎える三度目の四月が来て今更 千鳥ケ淵で昔君と見た夜桜が恋しくて 故郷ではなく東京の桜が恋しいということが 自分でもおかしい位です。三年の間あちらこちらを廻り その感動を君と分けたいと思ったことが沢山ありました。ビクトリア湖の朝焼け(略)南十字星 満点の星 そして天の川。診療所に集まる人々は病気だけれど 少なくとも心は僕より健康なのですよ。僕はやはり来てよかったと思っています。辛くないと言えば嘘になるけど しあわせです。(略)空を切り裂いて落下する滝のように 僕はよどみない生命を生きたい。キリマンジャロの白い雪 それを支える紺碧の空。 僕は風に向かって立つライオンでありたい(略)』                    

(編曲:渡辺俊幸。歌:Ron Richardson・さだまさし)   

 今月、友人が突然この世を去ってから、ずっと思い続けています。『人生は、なんて短いんだろう。いのちは、なんてはかないんだろう』。今、目の前にいる人が、ただ生きているというだけで、それは本当に幸せなことなのだと思えます。友人にはない今日という日が私にはあり、明日という日ももし与えられるなら、私は、『生きたい!』。私は、このいのちを生きたいと、今、心の底から思います。

66. 10月12日「中原中也詩集」

『秋の夜は、はるかの彼方に、小石ばかりの、河原があって、それに陽は、さらさらと さらさらと射しているのでありました。 陽といっても、まるで硅石(けいせき)か何かのようで、非常に個体の粉末のようで、さればこそ、さらさらと かすかな音を立ててもいるのでした。さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、淡い、それでいてくっきりとした 影を落としているのでした。 やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、今迄流れてもいなかった川床に、水は さらさらと、さらさらと流れているのでありました・・・・』

(「一つのメルヘン」。現代の仮名使いに修正。)           

大切な友人がいました。思いやりが深く、いつも笑顔しか見せない人でした。家族を大切にしていました。なのに、突然、この世から去ってしまいました。その人が、いないのに、時間は変わらずに流れ、街の風景も、歩く人も、何も変わらないことが、とても不思議に思えます。

65. 9月25日「星野道夫の仕事」星野道夫著

『あたりの風景が動かないので、まるで私たちは夜という海に浮かんでいるようだった。山も川も森も、闇の中で世界は、ぼんやりとしたりんかくにしか見えなかった。夜の森から呼びかけるフクロウのように、見えないというだけで、それはさまざまなことを語りかけてきた。私たちが言葉少なだったのは、きっとそのせいだった。生命は抽象的となり、すなわち根源的となった。』

(朝日新聞社発行。写真集第4巻「ワタリガラスの神話」より。この地球に生きることの神秘、生命への畏怖と慈しみをこれほど感じさせる写真集を他に知らない。)                           

「沈黙を恐れてはいけない」と米国でホスピス・ボランティアになるための訓練を受けた時に言われました。「私、もうだめね・・」と患者さんが言った時、「大丈夫さ!」「頑張れ!」という励ましは、その人がやっとの思いで吐き出そうとした不安や苦悩を押し戻し、蓋をすることになるそうです。その人の感じ方を否定せずに「もうだめだと思うんですか・・」「どうしてだめだと思うんでしょう・・」と訊ねることが良い場合もあるそうです。でももし沈黙に耐え、その人の痛みを自分の痛みとして感じながら傍に居ることができれば、それだけで、力になれるのだと習いました。でもそれは、他人だからこそできることでもあります。家族は既に患者さんと共に苦悩の闇の中に居るのですから。

64. 9月12日「わたしの生涯」ヘレン・ケラー著

『それはまだ私がたくさんの言葉を知るよりも前のことでありました。私は庭で数本の早咲きのスミレの花を見つけて、先生のところへ持って行きました。(略)サリバン先生は、一方の腕に優しく私を抱いて、私の手に「私はヘレンを愛します」と指話をなさいました。「愛というのは何ですか」と私は尋ねました。(略)「それはここにありますよ」とおっしゃって、私の心臓を指さされました。(略)先生の言葉は私をたいへん当惑させました。(略)「愛とは花の美しさのことですか?」(略)「いいえ」(略)私は暖かい光のさしてくる方角をさしながら「これが愛ではありませんか?」と問うたのです。私にはあらゆる物を成長させる熱の源である太陽以上に、美しい物があろうとは考えられませんでしたから。(略)先生が「愛」を示すことのできないのがふしぎでなりませんでした。』

(角川文庫。内面の豊かさ、前進し続けるパワーに心を揺さぶられる。)       
「夫婦であれ親子であれ、人がお互いを理解し合うことなど不可能に近い。それでもなお、理解し合おうとする努力を諦めないことが愛。」という意味のことを河合隼雄氏が書いています。私たちは、赤ちゃんが微笑みかけるように、人を―自分自身すら―愛することができません。でも理解し合おうとする意志を持ち続けることはできます。家族に対しても、遠い国に住む人々に対しても。

63.  9月4日 「茶の心」 千宗室著

『社会は人間相互関係の連続であり、その潤滑油として良識を学びます。立派な人間、偉い人間になるよりも、心素直で、良識に欠けることのない人間であれば、それ以上のスタンドプレーは要らないのです。(略)願わくは、茶道を志す者一人一人の内面に「和心」の軸が掛かっていて欲しい、口が喋り、理性が働き、情感がうたう以前に、ひっそりとその軸が己自身のために掛かっていてほしいと、つくづく思うのです。』

(淡交社発行。美しい写真と短い文章から成る本。軸とは、茶室に必ず掛けられる掛け軸の意。)    

「あなた、いつも同じ服ね。こんなとこでボランティアなんかしてる間に仕事をしたらお金になるのに」と入院患者さんから言われて苦笑したことがあります。高齢ですが差し迫った病気ではない方でした。 「私も元気な内に、人のために何かしておけばよかった・・」という言葉は末期の患者さんたちから度々聞いていましたが、上記の言葉は初めてで、新鮮でした。                 私は想像してみました。私がこの世を去る時、何に満足し、何を後悔するだろうか・・と。仕事もしたい、お金も欲しい、したいことはいくらでもあります。でも利害から離れ、真に人と触れ合えるホスピスでのひと時は、他の何にも代え難いと改めて知りました。

62. 8月26日「二十一世紀への手紙」曽野綾子著

『健康は他人の痛みのわからない人を作り、勤勉は時に怠け者に対する狭量とゆとりのなさを生む。優しさは優柔不断になり、誠実は人を窒息させそうになる。秀才は規則に則った事務能力はあっても、思い上がるほどには創造力はなく、自分の属する家や土地の常識を重んじる良識ある人はけっしてほんとうの自由を手にすることはないのが現実である。いかなる美徳と思われていることも完全ではないことを知ると、人は何をやっても、自分が百%いいことをしている、という自覚を持たなくなる。』                          
(集英社発行。教育と人生についての辛口の論評。) 

人に迷惑をかけないことを信念とし、誰の世話にもならずにきたと自負している人。そんな人が人生の最後に病床で人の世話を受けるようになると、大変な困難に陥(おちい)ることがあります。「健康だけが自慢だった」という人は、誰よりも病を恨んだりします。    人生の最後にコインはひっくり返るように見えます。表から裏へ。裏から表へ。誰もがその両面を見ることで、偏(かたよ)りから放れるチャンスを与えられているのかもしれません。

61.8月21日「シュワイツァーの言葉」高橋功 訳編

『なぜ私は人を許すのか?(略)私は限りなく許さなければならない。(略)私の生活が虚偽に包まれているので、私に対してなされた虚偽を許さざるを得ない。私自身、無情で、憎悪に満ち、誹謗を事とし、狡猾で傲慢だから、私に向けられた無情、憎悪、誹謗、狡猾、傲慢を許すのである。』               

(シュバイツァー博士の名言集。彌生書房発行。「人生の知恵」シリーズ。引用は「生命の畏怖」より)   

米国のホスピスでボランティアをしていた頃、和解は、患者さんの大きな課題の一つになると聞きました。  10年も20年も避けてきた肉親や別れた配偶者に、「どうしても謝りたい」「許すと伝えたい」と切実に願う患者さんが少なくないというのです。ボランティアがチームを組んで、消息不明の息子さんを探し出し、和解を望む父親のいるホスピスに来てもらったという話も聞きました。残念ながら私は、和解できなかった人たちしか知りません。勇気というのは、「すまなかった」と、「もういいんだ」と、言うためにこそあるのかもしれないと、その頃思いました。

60. 8月14日「リトル・トリー」フォレスト・カーター著

『「だれでも2つの心を持っているんだよ。ひとつの心はね、からだの心、つまりからだがちゃんと生きつづけるようにって、働く心なの。(略)でもね、人間はもうひとつ心を持っているんだ。からだを守ろうとする心とは全然別のものなの。それは、霊の心なの。(略)もしもからだを守る心を悪いほうに使って、欲深になったり、ずるいことを考えたり、人を傷つけたり、相手を利用してもうけようとしたりしたら、霊の心はどんどん縮んでいって、ヒッコリーの実よりも小さくなってしまうんだよ。からだが死ぬときにはね、からだの心もいっしょに死んでしまう。でもね、霊の心だけは生きつづけるの。そして人間は一度死んでも、またかならず生まれ変わるんだ。(略)」』

(「霊の心は、ものごとを理解することに使うほど大きく強くなる。理解は愛と同じ物」と続く。めるくまーく発行。チェロキー・インディアンの祖父母に育てられた子供の話。魂に響く)   

「ご先祖様は、今は、みんな生まれ変わって、もうここにはいないよ。拝んでもいないよ」と、ある子供がお墓参りの時言いました。私も亡くなった祖父母たちが、今、どこにいるのか、よくわかりません。でもお墓に拝んだり、話し掛けたりしたことは、どこにいたとしても必ず届いている気がします。

59. 8月5日 「路上のボールペン」 山田太一著

『家族というものは、もっとバラバラなものだと思う。バラバラが健康な形だと思う。(略)素晴らしい家族とは、それぞれの生き方で生きていながら、共に生きているという感情を持ち続けている家族だと思う。家族の一人の喜びや悲しみを、わが事のように喜べたら、悲しめたら、もうそれだけでいいと思う。(略)』    

(1984年冬樹社発行。脚本家のエッセイ集。「大事なことは1つ」より。)                         
30代40代。子育てや仕事に追われ、古い友人たちと長年会っていないことに気付きます。家族もなく、お金もなく、自由に使える時間だけがあった若い頃、お互いの喜びを喜び合い、悲しみを悲しんでくれた友人たちです。長い時間を共に過ごし、欠点も弱さも見せ合い、本当のことを言い合い、喧嘩ができた友人・・・。そんな友人を新しく持つことが、どんなに難しいか、その頃はわかりませんでした。




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