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V No.59〜('03.7.12更新) |

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74. 7月12日「豊かさの精神病理」大平健著 |
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『残っていたみにくい仔猫は、自分が愛を受けるのにふさわしくないと思っていた猫です。この猫が、結局は、老夫婦の愛を受けます。そして、その愛にふさわしく美しくなるのです。つまり、愛を受けたものがその愛にふさわしくなるのであって、愛にふさわしいものが愛を受けるのではないのです。』 |
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73. 4月1日「日日是好日」 森下典子著 |
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『(略)どこまで遠くへ行っても、そこは、広がった自分の裾野だった。ずーっとここにいたし、どこかに行く必要もなかった。してはいけないことなど、何もない。しなければいけないことも、何もない。足りないものなど、何もない。(略)「雨の日は、雨を聴きなさい。心も体も、ここにいなさい。あなたの五感を使って、今を一心に味わいなさい。そうすればわかるはずだ。自由になる道は、いつでも今ここにある」(略)過去や未来を思う限り、安心して生きることはできない。(略)「いろんなことがあるけれど、気長に生きていきなさい。じっくり自分を作っていきなさい。人生は、長い目で、今、この時を生きることだよ」』 |
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72. 3月26日 MAYA MAXX |
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『無心とは、自分を 他人を 世界を信じること』 |
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71. 3月10日「古寺巡礼」和辻哲郎著 |
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『わたくしたちはただうっとりとしてながめた。心の奥でしめやかに静かにとめどもなく涙が流れるというような気持ちであった。ここには慈愛と悲哀との杯がなみなみと充たされている。まことに至純な美しさで、また美しいとのみでは言いつくせない神聖な美しさである。』 |
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70. 3月1日「なめとこ山の熊」宮沢賢治著 |
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『小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになってもう一ぺん向ふの谷の白い雪のやうな花と余念なく月光をあびて立ってゐる母子の熊をちらっと見てそれから音をたてないやうにこっそりこっそり戻りはじめた。風があっちへ行くな行くなと思ひながらそろそろと小十郎は後退りした。くろもぢの木の匂が月のあかりといっしょにすうっとさした。』 |
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69. 2月20日『「死ぬ瞬間」と死後の生』キューブラー・ロス著 |
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『この世に唯一残っている正直な人々は精神病患者と幼児、それに末期患者です。』 |
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68. 2003年2月3日「人生について」小林秀雄著 |
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『宮本武蔵の独行道のなかの1条に「我事に於て後悔せず」という言葉がある。(略)自己批判だとか自己清算だとかいうものは、皆嘘の皮であると、武蔵は言っているのだ。(略)後悔などと言うお目出度い手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ、そういう確信を武蔵は語っているのである。それは、今日まで自分が生きて来たことについて、その掛け替えのない命の持続感というものを持て、という事になる(略)』 |
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67.10月30日「Amazing Grace〜風に立つライオン」さだまさし作詞・作曲 |
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『(略)ナイロビで迎える三度目の四月が来て今更 千鳥ケ淵で昔君と見た夜桜が恋しくて 故郷ではなく東京の桜が恋しいということが 自分でもおかしい位です。三年の間あちらこちらを廻り その感動を君と分けたいと思ったことが沢山ありました。ビクトリア湖の朝焼け(略)南十字星 満点の星 そして天の川。診療所に集まる人々は病気だけれど 少なくとも心は僕より健康なのですよ。僕はやはり来てよかったと思っています。辛くないと言えば嘘になるけど しあわせです。(略)空を切り裂いて落下する滝のように 僕はよどみない生命を生きたい。キリマンジャロの白い雪 それを支える紺碧の空。 僕は風に向かって立つライオンでありたい(略)』 |
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66. 10月12日「中原中也詩集」 |
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『秋の夜は、はるかの彼方に、小石ばかりの、河原があって、それに陽は、さらさらと さらさらと射しているのでありました。 陽といっても、まるで硅石(けいせき)か何かのようで、非常に個体の粉末のようで、さればこそ、さらさらと かすかな音を立ててもいるのでした。さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、淡い、それでいてくっきりとした 影を落としているのでした。 やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、今迄流れてもいなかった川床に、水は さらさらと、さらさらと流れているのでありました・・・・』 |
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65. 9月25日「星野道夫の仕事」星野道夫著 |
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『あたりの風景が動かないので、まるで私たちは夜という海に浮かんでいるようだった。山も川も森も、闇の中で世界は、ぼんやりとしたりんかくにしか見えなかった。夜の森から呼びかけるフクロウのように、見えないというだけで、それはさまざまなことを語りかけてきた。私たちが言葉少なだったのは、きっとそのせいだった。生命は抽象的となり、すなわち根源的となった。』 |
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64. 9月12日「わたしの生涯」ヘレン・ケラー著 |
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『それはまだ私がたくさんの言葉を知るよりも前のことでありました。私は庭で数本の早咲きのスミレの花を見つけて、先生のところへ持って行きました。(略)サリバン先生は、一方の腕に優しく私を抱いて、私の手に「私はヘレンを愛します」と指話をなさいました。「愛というのは何ですか」と私は尋ねました。(略)「それはここにありますよ」とおっしゃって、私の心臓を指さされました。(略)先生の言葉は私をたいへん当惑させました。(略)「愛とは花の美しさのことですか?」(略)「いいえ」(略)私は暖かい光のさしてくる方角をさしながら「これが愛ではありませんか?」と問うたのです。私にはあらゆる物を成長させる熱の源である太陽以上に、美しい物があろうとは考えられませんでしたから。(略)先生が「愛」を示すことのできないのがふしぎでなりませんでした。』 |
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63. 9月4日 「茶の心」 千宗室著 |
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『社会は人間相互関係の連続であり、その潤滑油として良識を学びます。立派な人間、偉い人間になるよりも、心素直で、良識に欠けることのない人間であれば、それ以上のスタンドプレーは要らないのです。(略)願わくは、茶道を志す者一人一人の内面に「和心」の軸が掛かっていて欲しい、口が喋り、理性が働き、情感がうたう以前に、ひっそりとその軸が己自身のために掛かっていてほしいと、つくづく思うのです。』 |
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62. 8月26日「二十一世紀への手紙」曽野綾子著 |
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『健康は他人の痛みのわからない人を作り、勤勉は時に怠け者に対する狭量とゆとりのなさを生む。優しさは優柔不断になり、誠実は人を窒息させそうになる。秀才は規則に則った事務能力はあっても、思い上がるほどには創造力はなく、自分の属する家や土地の常識を重んじる良識ある人はけっしてほんとうの自由を手にすることはないのが現実である。いかなる美徳と思われていることも完全ではないことを知ると、人は何をやっても、自分が百%いいことをしている、という自覚を持たなくなる。』 |
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61.8月21日「シュワイツァーの言葉」高橋功 訳編 |
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『なぜ私は人を許すのか?(略)私は限りなく許さなければならない。(略)私の生活が虚偽に包まれているので、私に対してなされた虚偽を許さざるを得ない。私自身、無情で、憎悪に満ち、誹謗を事とし、狡猾で傲慢だから、私に向けられた無情、憎悪、誹謗、狡猾、傲慢を許すのである。』 |
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60. 8月14日「リトル・トリー」フォレスト・カーター著 |
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『「だれでも2つの心を持っているんだよ。ひとつの心はね、からだの心、つまりからだがちゃんと生きつづけるようにって、働く心なの。(略)でもね、人間はもうひとつ心を持っているんだ。からだを守ろうとする心とは全然別のものなの。それは、霊の心なの。(略)もしもからだを守る心を悪いほうに使って、欲深になったり、ずるいことを考えたり、人を傷つけたり、相手を利用してもうけようとしたりしたら、霊の心はどんどん縮んでいって、ヒッコリーの実よりも小さくなってしまうんだよ。からだが死ぬときにはね、からだの心もいっしょに死んでしまう。でもね、霊の心だけは生きつづけるの。そして人間は一度死んでも、またかならず生まれ変わるんだ。(略)」』 |
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59. 8月5日 「路上のボールペン」 山田太一著 |
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『家族というものは、もっとバラバラなものだと思う。バラバラが健康な形だと思う。(略)素晴らしい家族とは、それぞれの生き方で生きていながら、共に生きているという感情を持ち続けている家族だと思う。家族の一人の喜びや悲しみを、わが事のように喜べたら、悲しめたら、もうそれだけでいいと思う。(略)』 |
