こころに響いた言葉T(No.1〜No.29)・・本の紹介とエッセイ・・


エッセイの冒頭に引用した作品 (No.29より順に) 

「100万回生きたねこ」「みすゞ」「魂のみなもとへ」「随想禄」「神との対話」「こころの天気図」「夜と霧」「風の旅」「『わからない』という方法」「ライフ・レッスン」「ポネット」「わび―侘茶の系譜―」「静かな生活」「宮沢賢治詩集」「スピルバーグ」「生命ある限り」 「武者小路実篤詩集」「からだの見方」「徒然草」「サンダカン八番娼館」「『自分の木』の下で」「映画『顔』」 「こころの処方箋」「法華経」「マザー・テレサ」「旅をする木」「柳田邦男」「一色一生」「八木重吉詩集」    

★ホスピスで患者さんの話を聞くボランティアを細々と9年程していました。患者さんたちが教えて下さったことは膨大で、私は光と力を与えられました。エッセイの話題は限定していませんが、そうした内容が多く入っています。(どの宗教とも団体とも関わりはありません。)

29. 2月4日「100万回生きたねこ」佐野洋子作・絵 

『100万年も しなない ねこが いました。100万回も しんで、100万回も 生きたのです。りっぱな とらねこでした。100万人の人が、そのねこを かわいがり、100万人の人が、そのねこが しんだとき なきました。ねこは、1回も なきませんでした。(略)ねこは しぬのなんか へいきだったのです。(略。ねこは家族を持つ。)ねこは、白いねこと たくさんの 子ねこを、自分よりも すきなくらいでした。(略)ねこは、白いねこと いっしょに、いつまでも 生きていたいと 思いました。(略)』

(講談社発行の絵本。子供よりも大人、それも年齢を重ねる程、胸に迫るファンタジー。)       

子供を亡くした経験を持つ知人に、既に初期ではない悪性の腫瘍が見つかりました。けれども驚くほど冷静でした。「だって、死ぬことなんて全然恐くないもの。死んだら、向こうで待っている子供と会えるんだから。でも『お母さん、早いよ!』って怒られそう・・・」。彼女は手術をし、前向きに治療を続けました。再発することなく5年が過ぎ、以前にも増して元気で暮しています。

28. 2月1日 「みすゞ」 五十嵐匠(他)著

『私は不思議でたまらない/ 黒い雲からふる雨が/ 銀にひかっていることが/(略)』 

(金子みすゞ作。 「不思議」より抜粋。紀伊国屋書店発行)           

雪山に登るという女性にテントの中でどう寒さをしのぐのか訊ねたことがあります。「一本のロウソクの炎で・・」という答えが、私には信じられませんでした。でもその人は不思議そうに言いました。「ロウソクの炎がどれほど暖かいか、あなたは知らないの?」      ホスピスで、空を見ることを何よりも楽しみにしている患者さんがいました。「朝起きると、看護婦さんがカーテンを開けてくれるのが待ち遠しい。きれいな青い空が見られたら、その日は、一日幸せな気持ちでいられる」。 そんな風に空を見たことは、何年もなかった気がしました。空が青いということや、雨がきらきら輝きながら落ちてくる美しさを、いつの間にか、感じられなくなっているのです。

27.1月30日「魂のみなもとへ」谷川俊太郎・長谷川宏著

『(略)わたしの いちばんすきなひとに/つたえておくれ/わたしは むかしあなたをすきになって/いまも すきだと/あのよで つむことのできる/いちばんきれいな はなを/ あなたに ささげると』  

(「しぬまえにおじいさんのいったこと」より。近代出版発行。)     

「私が死ぬ時はね、『大丈夫だよ。恐くないよ』って、一晩中(夫に)抱きしめて欲しい」。ある女性(60代)からそう聞いた時、それ以上の安らぎがあるだろうかと思いました。病院やホスピスのベッドは一人用が「当たり前」です。でも、手をつないで隣で一緒に眠る家族がいたら、患者さんはどんなに心安らぐでしょう。家族はどんなに心身を休めることができるでしょう。小児科病棟にも床で仮眠しながら付き添う、疲れ切った親達がいます。大きなベッドにできない理由はたくさんあるでしょう。難しいことなのでしょう。でもそのために多くの人が、安らぎを諦めています。

26.1月24日 「随想禄」 モンテーニュ著

『あなたがたが一日生きたなら、すべてを見たのである。一日はすべての日に等しい』           

 二十歳の頃、時計を見るのが癖でした。時間を有効に使わなければといつも焦り、何かに追い立てられるように過ごしていました。今よりマシな未来のために今日を使うのだと考え、衣食住は構いませんでした。美しい書を見て、『あんな風に書けたら・・』と憧れたのに、「習得に十年」と聞くと、とんでもないと思いました。時間が惜しかったのです。                ホスピスに通う内に、私は、焦ることが少なくなりました。今日をていねいに暮らしたいと思うようになりました。手をかけて料理を作り、心から味わって食べるようにもなりました。一生は短く、はかないからこそ、何年かかることであろうと、したいことをしようと、自然に思えるようにもなりました。どこまで行けるかは分りません。でも、それでいい・・。そう思っています。     英語では、生活も一生も「Life」といいます。

25.1月22日 「神との対話」 ウォルシュ著

『感情は、魂の言語だ。(略)自分の感情に耳をすますことだ。言葉は真実の伝達手段として、いちばんあてにならない。』

(サンマーク出版発行。普及版@。「まゆつば」と感じていた本だが信頼できる人の勧めで読み、良書と思う。それが「誰」の言葉であれ、生きていく上で役に立つ新しい視点を与えてくれる。)         

「ホスピスで何を話すのか」と訊かれます。(No.10参照)「聞くだけ」と答えると、「ありえない」と言われます。確かに日常生活にはないコミュニケーションです。苦悩を抱えた人を前にして、慰めず、励まさず、アドバイスをせず、本や言葉の紹介もしません。ただ全ての力を尽くして、静かに聞いています。言葉ではなく、言葉にならない「気持ち」に、耳をすませています。苦悩は言葉に置き換えられません。淋しさが痛みの訴えとなったり、不安が怒りとなったり、長い沈黙となったりします。私は、その気持ちを探して、その気持ちを自分のものとして感じようとしています。それが、限りなく不可能なことと知りつつ。

24.1月21日 「こころの天気図」 河合隼雄著

『人間関係とか家族とか、自分の生き方とか・・・そういうのは、普通みんなが考えているような「うまくいっている」ということは、ないでしょう。みんな、よそは苦労しないでうまくいっていると思っているわけですよね。で、(わたしの家ばっかり、どうしてこんなに!)と嘆くのだけど、そんなにうまくいってる家はないですね。もう、それははっきり言える。』

(No.7でも紹介した著者が文化庁長官に。一般に人が心理学に求めるものは心理学のテキストにはなくNo7やこの本にある。同著で「こころは晴れも雨も暴風雨も全部込みで成立している」とも。三笠書房発行)             
私たちは、疲れると横になってゆっくり休みます。なのに自分や人の苦しみや悲しみは、今すぐ消さなければと躍起になります。私がそうでした。どこかに正解のボタンがあり、それさえ押せば元に戻ると考えていました。「待つ」ことなど、思いも寄りませんでした。人間はブロードバンド(高速大容量)とは違うのに・・・。

23.1月19日 「夜と霧」 フランクル著

『われわれが労働で死んだように疲れ、(略)土間にすでに横たわっていた時、一人の仲間が飛び込んできて、極度の疲労や寒さにも拘らず日没の光景を見逃させまいと、急いで外の点呼場まで来るようにと求めるのであった。(略)この世ならぬ色彩とをもった様々な変化をする雲を見た。(略)感動の沈黙が数分続いた後に、誰かが他の人に「世界ってどうしてこう綺麗なんだろう」と尋ねる声が聞こえた。』 

(著者は精神医学者。アウシュヴィッツでの体験を静かに語る名著。みすず書房発行。)                   

子供の時、海に迫る山の上から、弧をえがく金色の海に沈む夕日を見ました。息が止まってしまうほどに美しく、私は、この世で一番崇高なものと一対一で向かい合っていると感じました。海に沈む夕日を見る度に、同じ想いがよみがえります。どんな芸術よりも美しいもの、人間を遥かに超越したものは、すぐそこにあります。

22.1月17日 「風の旅」 星野富弘著

「わたしは傷を持っている でも その傷のところから あなたのやさしさがしみてくる」

(著者は事故で手足の自由を失った後に詩人・画家となった。)       

7年前の今日、阪神大震災がありました。突然の別れは、病による別れとは違った傷を人々に残していきます。日本では、交通事故で1万人、自殺で3万人の生命が毎年失われています。そしてその何倍もの人が、長い年月を苦しみの中で送るのです。        『この苦しみをわかる人など一人もいない』と思う時、その苦しみを自分の苦しみとして受け止めている人が必ずいます。『理解したい。何とか力になりたい』と心の底から願いながら、無力さに打ちひしがれ、ただ黙って立ち尽くしている人が必ずいます。       嵐が永遠に続くことはありません。身を伏せて、じっと時を待っていれば、必ず通り過ぎていきます。顔をあげて、目をこらして見る時、本当は一人でなかったことが、きっとわかると思います。

21.1月16日『「わからない」という方法』橋本治著

『多くの人は、「へん」という言葉に尻込みをする。それに怯えて、自分の持っている特性を手放してしまう。しかし、「へん」というものは、持ちこたえれば、十分な美点に変わるもの・・(略)』

(集英社新書)    

海外で生活することの一番の良さは、固定したものの見方から自由になれることでした。国が違えば、生活の仕方も考え方も違います。その違いが、「へん」なのではなく、お互いに「面白い」と思えました。でも自由になった分だけ、帰国した時の私は、周囲から見て「へん」だったのです。私はすっかり怖気(おじけ)づいてしまい、服装も言動も周囲に合わせるようになりました。海外で生活したことも、本を書いたことも、ホスピスに通っていることも、話すのを止めてしまいました。  昨年秋、膨大な時間をかけたある挑戦に失敗しました。それが、「窮屈で重い服」を脱いで、「自分の好きな、着心地の良い、軽やかな服」に着替えようと思ったきっかけになりました。今は、この「へん」なサイトを育てることを心から楽しんでいます。

20.1月14日「ライフ・レッスン」キューブラー・ロス

「かつてのわたしはしっかりと握りしめたこぶしで人生をつかまえていましたが、手のひらに羽を乗せるように人生をふわっと支えていればいいんだと気づいたのです。(略)はじめて人生を芯からエンジョイできるようになったのです。」 

(交通事故の時、力を抜き身を任せたために助かった女性の言葉。精神科医の著者は言う。「他者、もの、できごとをコントロールすることなど不可能だ、それは幻想にすぎないのだと気づいて、コントロールを手放したとき、わたしたちは関係性や人生において、より大きな力を得ることができる。/不幸だったこども時代を変えることはできなくても、いま幸福になることはできる。(略)魔法のつえで瞬時にがんを消すことはできないが、がんになったからといって人生がおわったわけではないと気づくことはできる」)     

 しっかりと握りしめてきたもの・・・。それは何だったのだろうかと考えました。それは「最悪の思い出」だと気づいた時、苦笑いしてしまいました。そんなものを握りしめていなければならない理由などどこにもありません。今、私は剣道で、そのかじかんだ手をゆるめる練習をしています。

19. 1月9日 「ポネット」 ドワイヨン著

『「”楽しむことを学ぶのよ”って・・・」』

(4歳児が母の死をひたむきに理解しようとする物語。引用は、少女が父に伝えた亡き母の言葉。映画化。角川文庫)    

誰もがいつかは病床で過ごす時を迎えます。そんな苦難の時、何か一人でも楽しめるものはないだろうかと、ホスピスを訪ねる度に思います。何かを作ったり読んだりする力を失っても、大自然の写真集を眺めることならできるでしょうか。(大山行男の「富士」や「星野道夫の仕事」等) 音楽は大きな慰めになると思います。病人にも動かせる携帯用プレーヤーを手元に置けたら・・。親しい人の声を吹き込んだものも、どんなに心和むでしょう。テディーベアが慰めになることもあります。 「自分のお葬式のことを考えるのが楽しい」と言った人がいました。祭壇は一番好きなあの花で飾り、お世話になった人には・・と考えると心が安らぐと。「でも、家族に話すと怒るから言えないの・・」。  その花を見る度に、その人を思い出します。

18. 1月6日 「わび―侘茶の系譜―」数江教一著

「正直に慎み深くおごらぬさまを侘と云う」 

(千利休の師匠、武野紹鴎(じょうおう)の言葉。紹鴎は堺の豪商。/塙書房発行。侘の美意識は日本のオリジナル)   

 最近、十年近いブランクの後に、茶事に招いて頂く幸せに恵まれました。茶事は、茶道の正式な会です。数人の客が、小さな茶室の中で、懐石料理とお酒を楽しんだ後、厳粛な雰囲気の中で一碗の濃茶を回し飲みます。一度退席した後、掛け軸を茶花に代えた茶室で和やかに薄茶を頂き、4時間の会が終わります。文字通りの「一期一会(いちごいちえ)」です。  私は、この時ほど、お茶の豊かさを全身で感じたことはありませんでした。良い師について茶道を始め、どっぷりと浸かっていた20代の頃は、覚えることばかりに心をとられて、ただあるがままを味わうことがなかったのです。年齢を重ねなければ見えないものが、たくさんあることをようやく知りました。自分と侘との遥かな距離も・・・。

17. 12月19日 「静かな生活」 大江健三郎著

「(略)自分よりさらに年をとった障害者の付き添いの家族を見て、将来のことに漠然と思いをはせている、というふうに・・・・・・  そういう時、私は心のなかで、―なにくそ、なにくそ!お先真っ暗でも、元気を出して突き進もうじゃないか!といっている。」

(障害者の妹の視点で綴られたユーモアの漂う小説。伊丹十三が無名時代の渡部篤郎を主演に映画化。)                    

医者の予測した余命を裏切る人は、少なくありません。傍(はた)から見て、どんなにひどい状況であっても、本人が「大丈夫だ」と信じている限り、底知れないパワーが働くことを、ホスピスで知りました。      どれだけ考えても、どれだけ努力しても解決できないことがあります。解決できない問題を抱えたまま、「元気を出して」生きるということも患者さんに教えられました。どんなに厳しい風が吹いても、凍るような雨に打たれても、大丈夫です。元気を出して・・・! 自分自身すらまだ知らない力が、静かに出番を待っているのです。

16. 12月17日 「宮沢賢治詩集」

「(略) 一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ (中略) 皆にでくの坊と呼ばれ 誉められもせず 苦にもされず そういう者に 私はなりたい」

(「雨ニモマケズ」。原文はカタカナ)                 

イスラムの国マレーシアに暮した時、たった一口の食べ残しも大切にとっておく生活が印象的でした。南米の途上国ではノートの代わりに一枚のわら半紙(ザラザラの茶色の紙)を折りたたみ、裏にまでびっしりと字を書いていました。米国では、コンテナのような共同ゴミ箱に、まだ使えるソファーや自転車が放り込まれていました。子供たちが一口かじっただけの料理をゴミ箱に捨てるのは日常の風景でした。栄養はビタミン剤で摂るようにと医者が言います。南の国の目で見ると、米国は限られた資源を湯水のように使う国に見えます。世界の人が米国や日本のような生活をしたら地球は何年もつでしょう。アフガニスタンでは、一人 200円で1ヶ月間飢えをしのぐそうです。(日本のNGO、ペシャワール会の食料支援の場合)

15. 12月11日 S. スピルバーグ (映画監督)

『(好きな言葉は、の問いに答えて) 「イエス」』    

フィリピンの名物に、孵化(ふか)直前にゆでた卵があります。大抵のものは食べられる私も、これだけはどうしてもだめでした。でも友人は「足に爪もある!面白い!」と美味しそうに平らげ、それを見て大喜びした現地の人たちとすっかり親しくなってしまいました。      「NO」(だめ・違う・無理)は、簡単で安全なので、つい言ってしまいます。でもそれで「終わり」です。「YES」(いい・面白い・やってみよう)は、何が起こるかわからないけれど、そこが「始まり」です。         「子供には無限の可能性がある」とよく言いますが、大人も、この2つの選択を無限に繰り返していることには変わりありません。「自分らしさ」もいいけれど、時には突拍子もないことを始めて、人に笑われるのも楽しそうだなと、このごろ密かに思っているところです。

14. 12月7日 「生命ある限り」キュブラー-ロス著

「彼らは、私が今まで避けてきたやり方で、私に自分自身を見つめ直させたのです。それは苦しいことでしたが、不思議にも心を軽くしてくれました。私は、死という現実に直面して、より十全に生を慈しむようになった自分に気付きました。私は自分自身に対して以前より安心して寛いでいられるようになりました。」  

(人を撮った写真集としては私の知る限り最も感動的な本。引用は、その写真を撮ったワルショウの言葉。産業図書発行。)     

「ホスピスでボランティアをしている」と話して喜ばれることはありません。「気が滅入らない?」「宗教活動?」と訊かれるのが常です。「死ぬ人の気持ちなんて誰にも分からないでしょ」とも良く言われます。私は、どの宗教の信者でもなく、患者さんの気持ちが分かるとも思いません。2週間に1回の本当に糸の様に細い活動です。でも引用の言葉のように、楽に(自然に)楽しく(喜び多く)生きられる幸せを与えられます。日常生活の中で、どんどんズレていってしまう自分を中心線に引き戻してもらえます。何の変わりばえもない今日という日すら、死の側から見れば、光輝く一日なのです。

13. 12月3日 「武者小路実篤詩集」

「のどかな空気/ほがらかな空気/今の世にそんなものを/呼吸して生きているのは/すまないね。/だがつい呼吸する/のどかな空気/ほがらかな空気。」

(「のどかな空気」)     

幼い頃、母の実家を訪ねると、「よう来た。よう来た」と、曾祖母が迎えてくれました。数え切れない顔中のしわが、みんな笑っているように見えました。そして丸い黄土色の缶を取り出して、不思議な形をしたこげ茶色の飴を1つだけ、手のひらにのせてくれるのです。そのニッキ(シナモン)の味は、子供には苦かったのですが、その飴をもらうのを心から楽しみにしていました。  曾祖母の手の甲はしわが波打っていました。それをつまんで放すと、富士山が、ゆっくりと平らになっていくのです。繰り返しては見上げると、曾祖母の顔で無数のしわが、愉快に踊っているようでした。  何かを話し合ったという記憶もなく、何かを買ってもらった記憶もなく、晩年は痴呆で皆を困らせたのに、曾祖母のしわは、私の古い記憶の中で、一番美しいもののひとつです。

12. 11月30日 「からだの見方」 養老孟司著

「わたしはもともと、好きなことしかやる気はない。しかし、世の中はよくしたもので、それでは通らない。それならどうするか。(中略)嫌なことの中に、それなりの楽しみを探す。(中略)そうすると、さまざまな発見がある。それが面白い。やがてちゃんと楽しむようになる。」

(著者は有名かつユニークな解剖学者)      

母校放送大学の講義はどれも面白いのですが、一番ワクワクしたのが日高敏隆先生の「動物の行動と社会」でした。日高先生は動物行動学の権威なのですが、土の上に腹ばいになって夢中で虫を見つめている子供が、そのまま大人になってしまったような方です。日高先生が心底面白がっていることは、視聴する者にも面白いのです。蝶の交尾が何になると言われると困るのですが、ワクワク・ウキウキできることが楽しかったのです。同じ毎日なら、本気で面白いと思えることを、1つでも2つでもしていきたいと思っています。それがはたから見れば、どんなにささやかで、バカげたことであっても・・・。

11. 11月30日 「徒然草」 吉田兼好著 

「よろずのことは頼む(期待する)べからず。愚かなる人は、深くものを頼む故に、恨み怒ることあり。(中略)人は天地の霊(最も尊いもの)なり。寛大にして、極まらざる時には(限りないなら)、喜怒これに障らずして、もののために煩わず。」(第二百十一段)   

 『勝手に決めつけ、見返りや結果を期待するから不幸になる』と、いつの時代でも、どんな宗教でも言います。なのに、どうして、そうできないのでしょうか。  愛する者に何かあった時には、「命さえあればいい」と祈ります。他には、何一つ望みません。でもすぐに、そんなことはすっかり忘れ果てています。            イスラム教徒は、今、ラマダン(断食月)を過ごしています。日中は何一つ口にしません。飢える人々の辛さを体験し、食べられることを感謝するためだと、マレーシアに居た時、教えてもらいました。飢えも、寒さも、身分階級も、爆弾の雨も知らないという人類史上最高の幸せの中にいる日本人が、ちっとも幸せを感じられないのなら、いったい、何をすれば良いのでしょうか。

10. 11月26日「サンダカン八番娼館」山崎朋子著

「(略)人にはその人その人の都合ちゅうもんがある。話して良かことなら、わざわざ訊かんでも自分から話しとるじゃろうし、当人が話さんのは、話せんわけがあるからじゃ。おまえが何も話さんものを、どうして、他人のうちが訊いてよかもんかね」

(出版から30年。読んだのは四半世紀前だが、名著は古びないと思う。)  

20代の中頃、知人に大変な不幸がありました。その人と会った時、何か言葉を掛けたいと必死で言葉を探しました。でも、どの言葉も、その不幸の大きさの前では薄っぺらく感じ、私はただ自分を恥じながら、何も言えずにいました。別れ際に知人は言いました。「何も言わないでいてくれるのが何より嬉しかった」。      「ホスピスで、いったい何を言うの?」と時々人に訊かれます。苦しんでいる人に、言葉は無力です。ただ一緒にいます。具合の悪くない人とは、一緒にたくさん笑います。普通に話します。ただ、相手が話すこと以外は、決して訊かないこと。これは患者さんたちが教えて下さったことです。

9. 11月22日『「自分の木」の下で』大江健三郎著

『子供の時の私は、自分が大人になったらば、いまの自分とはすっかりちがった人間になるのだろう、と思っていたんです。(中略)子供の時から老人になるまで、自分のなかの「人間」はつながっている、続いている(後略)』

(著者は、これが、半世紀前の自分に言ってやれるなら言いたい「一番の秘密」という。)         

大人ぶらなくても、そのままで「大人」という(或いは、そうとしか見えない)歳にやっとなってきました。背伸びしなくなるにつれて、予想しなかったことですが、自分の中の「子供」が少しづつ いのちを吹き返してきたように感じています。10歳の自分が、私の中に生き生きと現れた時、変だとは思いましたが、思い切って話し掛けてみました。言葉は返ってきませんでしたが、深いコミュニケーションができました。10歳の私は、私よりも、自分の本当の気持ちを知っていました。そしてどこか不思議なところからエネルギーを降り注いでくれるのを私は確かに感じています。 

8. 11月18日 映画「顔」(藤山直美主演)より

「ありがとう。ごめんなさい。さようなら」(関西弁で。)  

「顔」は賞を取りましたが、とても地味な映画です。それでも、泳げない主人公が浮き輪につかまって必死で海を泳いで逃げていくシーンは、心に深く残りました。自分を見ているような気がしたのです。人生も折り返し点に来ると「こうありたかった自分」と「現実の自分」が随分隔たっていることに愕然とする時があります。何の制約もなく自由に飛び回っていた20代の時には想像もつかない形で、地を這うように生きていると感じます。でも今は、「それも悪くない」と思っています。走っていた時には見過ごしてきた小さな美しい沢山のものが、目を耳を鼻を楽しませてくれます。傍目には、みっともなく泳いでいるだけに見えても、その「みっともなさ」を心のどこかで受け入れられるようにもなってきたのですから。

7. 11月13日 「こころの処方箋」河合隼雄著 より

『イライラは自分の何か―多くの場合、何らかの欠点にかかわること―を見出すのを防ぐために相手に対する攻撃として出てくることが多い。(中略)目を自分の内に向け「何か見とおしていないぞ」とゆっくり構えるとイライラの中から有益な発見が生じてくることになる。』

(10章「イライラは見とおしのなさを示す」。著者はユング心理学の権威)      
常に遠くを見る目を持ち続ければしめたものなのに日々の生活の中でどんどん近視になって、私はイライラと縁が切れません。でも、良く効く呪文を知っているとずいぶん違うものです。この本はそんな呪文の宝庫です。世は心理学ブームですが、大学で学ぶ心理学が日常生活の中で役に立つということは殆どありません。そこを出発点として深く深く探求していかなければ、どんな理論も人間に当てはめて考えることはできないと感じています。河合氏の著書は、海より深く掘った心理学と稀有(けう)な感性をベースに、誰にでも光を与えてくれます。

6. 11月12日 「法華経」より

「だれもが ひとりのこらず 仏になれる。仏は、すべてを平等に観て、だれを愛すことも、だれを憎むこともない」      

最近、初めて法華経の入門書をかじって愕然としました。これは、人間の小さな頭では理解することのできないことだと感じました。テロリストも善良な市民も「同じ」だと信じられる人が、世界中に何人いるでしょうか。理不尽な不幸に遭い、「なぜ」と問わない人がいるとは思えません。答えはあるのでしょう。法華経が説くように・・・。でも、結局それは、人間には理解のできないこと。なぜ誰の上にも陽が照り、雨が降り注ぐのか。なぜ無限に広がる宇宙の闇の中に、地球だけが青く光輝いているのか。なぜ一枚の葉がこんなに美しいのか。人間には理解のできないことばかりです。理解できないままに、何億年も前に放たれた星の光や、奇跡のように温度調節された太陽の光を楽しんでいるのです。

5. 11月10日 マザー・テレサ

「ほんのちょっとしたほほえみが、どれだけ役に立つのか、私たちは決してわからないでしょう」      

長い間会っていないのに、何かの折にふっと思い出し、無性に会いたいと思う不思議な知人が何人かいます。その人たちは、特別なことを言うわけでも、するわけでもなく、ただいつでも人を包み込むような笑顔をたたえていました。不機嫌な顔を思い出そうとしても思い出せません。ただ笑顔しか思い出せず、その笑顔を思い出すだけで、すーっと肩の力が抜けていくような気がするのです。「何の苦労もないから、いつも笑っていられる」と人から評された時も、その人は、あたたかい目で微笑んでいました。「苦労がない」と言われたその人が、昔、子どもを亡くしたということを、ずっと後になって知りました。

4. 11月9日 「旅をする木」星野道夫著 より

「決して楽しいだけの平坦な人生であったわけではない。絶対に語ることのない子どもの死、不慮の事故により車椅子生活となった最愛の弟の死・・・ビルを見ていると、深く老いてゆくということは、どれだけ多くの人生の岐路に立ち、さまざまな悲しみをいかに大切に持ち続けてきたかのような気がしてくる。」

(著者はアラスカを愛した優れた写真家・作家)  

 『悲しみを大切に持ち続ける』ということを初めて知ったのは、ホスピスでした。患者さんの悲しみを何とかできないかと職員に相談した時、こう言われたのです。「死を前にして、鬱は、自然な感情です。その気持ちを尊重して下さい」。私は、それまで、悲しいことを悲しむ気持ちを、人にも自分に対しても尊重した経験はありませんでした。今でも、苦しんでいる患者さんの前に立つと、励ましの言葉を掛けてしまいそうになります。その人の気持ちを真に尊重して、ただ黙って、そこに居ることよりは、「頑張って」と言って済ませてしまう方が、はるかに楽だからです。

3. 11月8日 柳田邦男(「犠牲サクリファイス」著者)

「いのちとは、そこに触れないと、語りかけないと、見えてこないものなのだ」
(実の息子の脳死という体験から出た言葉。)   

米国の「ホスピス・オブ・ワシントン」でボランティアを始めた時、一番驚いたのは、意識のない患者さんに、ごく普通に話し掛けることでした。痴呆や昏睡状態で、何の反応も示さない患者さんに、看護婦やボランティアは、好意と敬意を持って挨拶をし、笑顔で会話を続けていたのです。その場を明るくするための手段なのだろうかと、私は思いました。しかしそれは違いました。彼らには、聞こえているのです。或いは、感じているのです。私には廃人としか見えなかった人が、あたたかい言葉掛けに応えて、突然、話し始めたり、微笑んだり、涙を流すのを幾度も見ました。その姿が、「人」に見えなかったとしても、その人は、その不自由な「囲い」の奥に、確かにいるのだと知りました。人格も経験も感性も変わらずに、そこに生きているのだと。

2. 11月7日 「一色一生」志村ふくみ著 より

「その時はじめて知ったのです。桜が花を咲かすために樹全体に宿している命のことを。一年中、桜はその時期の来るのを待ちながらじっと貯めていたのです。知らずしてその花の命を私はいただいていたのです。それならば私は桜の花を、私の着物の中に咲かせずにはいられないと、その時、桜から教えられたのです。」 

3月の桜の幹から染まる匂い立つ色は、その花弁でも違う時期の幹でも決して出ないそうです。このエッセイで大仏次郎賞を受賞した著者は染織作家(人間国宝)。染織の道に入ったのは、30歳を過ぎて、逆境の中で子供と自分の生計を立てるためだったそうです。「一色一生」は、求める一つの色を染めるのに一生かかるという言葉です。どんなことでも真に求めてゆけば、それは「道」であり、「人間を超えたもの」につながっていくと、以前なにかで読みました。私自身が、小さな日常の世界で右往左往する頼りない人間であるからこそ、時々そこを離れて、剣道の稽古で、ただ一本の面を求めていく時間が、私には宝物のように思えます。

1. 11月6日 八木重吉詩集より 「素朴な琴」

「この明るさのなかへ  ひとつの素朴な琴をおけば  秋の美しさに耐えかねて  琴はしずかに鳴りいだすだろう」   

以前、2年間住んでいたノースカロライナ州は、森が広がるのどかな南部。秋の紅葉は、まるで世界が燃え上がるようでした。親しくなった人々との死別を体験していた私には、その異様な美しさは、痛みとして感じられました。  「死」を強く意識して日々を送っている時は、小さな花が、「花」には見えませんでした。息づいている「いのち」そのもの、「宇宙の秩序」そのものに見えたのです。奇跡の美しさだと、本当に息をのんで、いつまでも見つめていました。ホスピスでのボランティアは続けていますが、今の私には、花は花に見え、紅葉は紅葉に見えます。ただ時々、それを見ることのできる幸運を、祈るように感謝する時があります。




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