2009
年 11月のことば
ほのぼのカレンダーの月々の法語を私
なりに味あわせていただくページです
私たちの宗旨は浄土真宗本
願寺派です。門徒のお西と言った方が分かる方も多いかもしれません。御開山(お開きくださった方)は親鸞聖人であります。今からおよそ八百三十余年前に京
都にお生まれになられ、2011(平成23)年には七百五十回の大遠忌が京都のご本山で勤まります。私たちのお寺からも多くのご門徒さんで団体参拝をする
予定になっています。ちょうど二年後の11月16日のご法要に参詣をする事になっています。一度に何千人という方が全国から参詣に見える法要はそれだけで
もすごい迫力です。なんとか都合を付けてぜひ一緒に参詣いたしましょう。詳細は決まり次第ご案内いたします。
さて、現在私たちの宗派では「食事のことば」の見直しをしているそうであります。これまで使っている食事のことばは約五十年前に制定されたものだそうで
す。
《食前のことば》「み仏と皆様のおかげによりこのごちそうを恵まれました。深くご恩をよろこび有難くいただきます。」《食後のことば》「とうといお恵みに
より美味しくいただきました。おかげでごちそうさまでした。」食前のことばも食後のことばもどちらにも『おかげ』という言葉が入っています。「陰(か
げ)」に「御(おん)」の字をつけて「御陰(おかげ)」であります。さらに「様(さま)」をつけて出来上がっている言葉が【御陰様(おかげさま)】であり
ます。大変丁寧な言葉であり最上級の敬いの表現ではないでありましょうか。しかし、それは特定の相手に対しての敬いではなく、私が直接会うことの無い、見
えないところにいる誰か、なおかつ不特定の人に対しての言葉でもありましょう。手を合わせ食事のことばを口にするという事は、この食事がどのような段階を
経て、どれだけの人のご苦労をいただいて、どれだけの命の犠牲によって今私の目の前に並べられているのか、いったいどれほどの目に見えてこない様々な力が
はたらいてくださったのだろうか。そのおもいをあらたにし、こころして頂戴いたしましょう。という意味があるのではないでしょうか。だが私はその事を感じ
ながら食事をしているだろうか。申し訳ないけれどいい加減なものだと言わざるを得ない。食事をあげて考えただけでも、目に見えてこないものに対してはいか
になおざりにしていることか。私だけではどうにも出来ない中でしか生きられないにもかかわらず、私は一人で何でも出来ると思って生きている。最近ことに思
う殺され食べられる動物や魚が人間と共通の言語を持っていたらなんていうだろうか。殺して食べている側の私はなんと言って弁解しているだろうかと。
なんまんだぶ