2009
年 8月のことば
ほのぼのカレンダーの月々の法語を私
なりに味あわせていただくページです
先月(7月)のカレンダー
の言葉は「小さな勇気でいいから 私はそれがほしい」というものでした。つい先月の言葉なのにもはや私の記憶の中にはきちんと残っていなかった。記憶力の
低下を最近ことに感じる。年を取ってきたなぁ。そんなことを書こうと思っていたのでないので本題に戻します。先月は「小さな勇気」で今月は「大きな大きな
しあわせ」であります。大きなしあわせの中にあって小さいほんのわずかな勇気かも知れないがこの私がを持つことが出来、その勇気によって力強く生き抜くこ
とが出来ると読んでみてはどうだろうか。さて、そこで《しあわせ》とはいかなるもの、状態をいうのか考えてみたい。日頃私たちが日常の中で《しあわせ》と
思うのはなんだろう。健康でいることはしあわせでしょうか。美味しいものを思う存分に食べられることはしあわせでしょうか。長生き出来ることはしあわせで
しょうか。お金持ちでいることはしあわせでしょうか。周りの人に慕われていることはしあわせでしょうか。健康、長生き、財産、名誉これらが満たされればし
あわせになったような気がすることは確かにある。果たしてそれで本当に大きなしあわせのどまんなかなのだろうか。体が不自由であるよりも自由な方が楽だと
はおもう。若くして死ぬよりは長生きして思う存分好きなことをして楽しんだ後で死にたくないけれどもいやいやながら死ぬ方がいいとは思う。食べ物に困るこ
と無く美味しいものを食べたい時に食べたいだけ食べられる方がひもじい思いをするよりはいいと思います。いつもいつもお金が無いお金がないといいあくせく
しながら暮らすよりは思う存分好きなだけお金が使えるにこしたことは無いが、これは無いものの発想かもしれないと思う(持ったことが無いのでわからな
い)。持っている人は持っている人なりに苦労があるんだろうと少しは察することは出来ますが良くはわかりません。毎日の暮らしの中で私のおもい描く《しあ
わせ》は、すべて私の欲以外の何ものでもありませんでした。私の願い、欲を充足された状態が《しあわせ》と言っているのではないでしょうか。小さな勇気す
ら持ち難い私に気づくことが出来、欲を捨てること出来ない煩悩まみれの私が見えてきた。煩悩の無い真実まことに出遇うことによって知らされた。迷いの世界
に真実が来たりて迷いを知らされる。迷っているけど迷ったまま大きな大きなしあわせ(真実)のどまんなかであると悦ばせいただくこの境涯ではないでしょう
か。 なんまんだぶ