2009 年 3月のことば ほのぼのカレンダーの月々の法語を私 なりに味あわせていただくページです
「モノ」のいのちをいとおしむ心
ある研修会での一コマです。講師の先生の話が終わり会場からの質問を受けることになった。三十代の女性が意見を述べた。「縁があってお 寺でお説教を聞く機会がありました。そこで長々と動物のいのちを殺すことは大変な罪であるという話をされた。肉を食べ魚を食べ卵を食べることは大変な悪な んだと話をされた。しかし、今日肉や魚や卵を食べずに生活などできません。こんな話を今でもしているから若い人はお寺参りなどしないんですよ。もっと考え てお話ししてください」と言われた。講師はどのように返答されるのだろう。会場中が興味津々であります。「この会場にいらっしゃる方はみなさん今の女性の 方と同じ意見ですか』と訊かれた。すると一人の年配の女性が「いいえ私は肉を食べ魚を食べ卵を食べることがどんなに恐ろしいことか、罪深いことかをどうか 今まで通りお聞かせください。そんな話はお寺以外の場所では聴けないのですから」若い女性が反論します。「じゃあ、あなたは肉を食べないんですか」「いい え、うちにも若い者もいますので私も食べます」「食べておきながら、殺生をしてはいけないというのは矛盾しているじゃないですか」「そうです。しかし食べ ているからこそ殺生をしてはいけないということをお聴かせいただかなければならないのです。動物を殺して肉を食べ魚を捕って食べることがどれほど罪深いこ となのかを時々聴かせていただき考えさせていただかなければならないんです」両者の討論はどちらの一歩も引かれません。とうとう最後に若い女性は「そんな ことを考えながら食べるだけ味が落ちる」と言われてその討論は終わりました。考えさせられる話ではないでしょうか。毎日食事をしていますが食卓にあがって いる食材のひとつひとつが生きている生きていたいのちであると考えながら感じる事などほとんどない。いま《食材》と書きました。食べるための材料でしかな いのであります。私という人間は目の前にあるお肉を見て「美味しそう」といい、活きのいい魚を目の当たりにすると「刺身で食べたら最高だろうな」と考え る。見えていないのであります。私の日暮しがたくさんのいのちの犠牲の上に出来上がっていることを。いや犠牲ではないこの私が原因となって行われた殺生に 殺生を繰り返した上に成り立っているということを見ることが出来ていないのであります。ペットはかわいい。家畜はペットとは違います。食肉として生産され ている牛はどうでしょうか。「きゃぁ〜この犬かわいい〜!」「うわぁ〜、欲しい!飼いたい!」殺生をしないのは最高の善です。殺生をすることは最もおもい 悪です。悪の自覚がない私です。『大漁』 金子みすゞ
朝焼小焼だ 大漁だ
大場羽鰮の 大漁だ。
浜は祭りの ようだけど
海のなかでは 何万の
鰮のとむらい するだろう。
なんまんだぶ
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