2008 年  9月のことば
直枉会発行の直枉カレンダーの月々の法語を私 なりに味あわせていただくページです 

人のいのちは年の数だけでなく幅もあるし深みも含んでいます

 毎年かならずひとつずつ年齢をかさねていきます。私は四年に一回だけひとつ年をとるという方は、うるう年 の二月二十九日生まれの方だけでしょうけれど、まさか本当に四年で一才ということは無いですよね。どなたかうるう年の二月二十九日生まれの方をご存知の方 はいらっしゃいませんか。この場合前の日の二月二十八日とか、次の日の三月一日生まれとかになさるんでしょうか。さて、年を重ねていくことで人生の年輪を 刻むなどと言ったりしますが、それが生きているという事とはイクオールにならないですね。生きているという事には、生きている輝きのようなものが有るん じゃないでしょうか。世の中を見渡してみると、体力があって運動神経がよくてオリンピック選手になれる人もいれば、生まれつき病弱で走ることも歩くことも 立つこともできない人もいます。遠くのものまでよく見える人もいれば、視力が良くない人だっている。私たちの価値観でいうと、病弱より体力はあったほうが いい。病気を患うより健康のほうがいい。若くして死ぬより長生きの方がいい。それらがひとつだけ満たされるのでは満足できない。病気に苦しみながら長生き するのは辛いから嫌だ。認知症になったら介護するのもされるのも大変だから嫌だ。長患いで寝込まれてもそうだ。かといって、お休みと言ってやすんだのに、 朝には冷たくなっているのは、突然すぎて嫌だ。患うなら一週間から十日くらい、身内のもの全員に最期のお別れをしっかりして、介護疲れしない程度の期間で 死にたい。こんな生き方、死に方できる人はまれな人です。仮に出来たからといって、いのちの幅があるとはいえませんし、それが輝きや深みのある人生だった といえるものでもありません。では、幅のあるいのち、深みのあるいのちとは、どのようなことを言うのでしょうか。いっぱ愉しいことをした。思い残すことの ない人生だった。これは自分の願いがかなった状態、いわば欲望が充足された状態での人生です。そんなものは夢まぼろしのごとき人生でしかありません。まま にならないのが人生で、受け入れがたい、こらえられない人生を歩むのが我が人生であります。先月亡くなったマンガ家の赤塚不二雄さんが『天才バカボン』の パパのことばで「なすがままならキュウリはパパだ」という名セリフを残した。私の日常は、ままにならない人生なんだと受け入れる。なすがままに受け入れ る。”なすがまま”なのであります。その人生は、欲望や迷いを離れて幅や深みのある人生となるのでしょう。そういえばバカボンママはなすがままな人であり ました。   なんまんだぶ

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