2008年   3月のことば
直枉会発行の直枉カレンダーの月々の法語を私なりに味あわせていただくページです 

私 が如来さまを求める以前から 私の如来さまは喚びどおし

 児童や幼児虐待のニュースが毎日のように聞こえてきます。父親が五ヶ月の子供を二回も骨折させたうえについには殺してしまったとい うニュースをみて遣る瀬無い気持ちになってしまいました。仕事や家族のストレスをはらすために我が子を虐待して骨折させて殺したのであります。逮捕された 父親は殺意はなかったと言っているそうですが、五ヶ月の子供の頭や腕の骨を折っておいて殺すつもりはなかったと言っても通用しない話であります。家族の居 ないときの犯行だそうです。どうして死ぬということが理解できないのでしょうか。「躾のためにたたいた」と虐待をしていた親は必ずのように言いますが、叩 いて躾が出来るのであれば子育てなんて簡単なことではないでしょうか。相手の立場を認め、相手の存在すべてをそのままに受け入れる事ができて初めて絆が生 まれ、信頼が生まれてくるのでありましょう。叩かれると痛いのに現代社会は人の痛みが分からない人間が多くなっているのでしょうか。親という名を語る偽物 「親もどき」「親らしきもの」「親の威を借る大人」が多くなってきているのでしょうか。また、仕方なく親を演じている「医学的に親子関係にあるもの」など など偽物の親が多いのではないでしょうか。本当の親というのは、子供が願う願わないにかかわらず生まれる前から子供のことを思っているのではないでしょう か。そのことを子供に感謝してもらおうとか気付いてもらおうなどとは思ってもいないものでありましょう。親が勝手に子供の心配をしつづけているのでありま す。『親の心子知らず』今、親となってみて思います。申訳なさでいっぱいであります。『吾亦紅』の歌詞が身にしみてきます。親の恩をしみじみ感じる歌であ ります。しかし、人は子供として甘えてゆるされて育まれる。親とはすべてをそのままに受け入れてくれる存在でありましょう。しかし私は我が子に思うのであ ります。もう少し勉強してくれたら最高なのに。もう少し親の言うことを聞いてくれれば言うことないんだけれどなぁ〜と、私の都合を出してくるのでありま す。私には私のきちんとした理由があるのですが、その理由のどれも私の都合から生じているのに。この子の為と言いながらどれもこれもよくよく見つめてみれ ば「おまえの為だ、あなたの為だ」は全て私の都合の言い訳でしかありません。そんな私が親を名のるのですから申訳ない次第です。どこまで行っても人間は凡 夫でしか有り得ない、だから如来さまは迷いの中で信心(まこと)をとどけ親に背く申訳のない子供であると気付いてくれと願われているのであります。       なんまんだぶ

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