2008年 2月のことば 直枉会発行の直枉カレンダーの月々の法語を私なりに味あわせていただくページです
仏 弟子の号泣ひびく涅槃像 末法の道俗恥ずべし傷むべし
二月の十五日はお釈迦様が涅槃に入られた日といわれています。涅槃に入るとは、亡くなることをいうのですが、本来、涅槃(ニル ヴァーナ)とは「さとり」〔証、悟、覚〕とほぼ同じ意味になり、「吹き消すこと」「吹き消した状態」という意味をもつため、煩悩の火を吹き消した状態、す なわち悟りを開いた状態と言う事になります。お釈迦様は死期が迫り生まれ故郷に向かう途中のクシナガラという町でお亡くなりになられました。今でもクシナ ガラでは世界中から涅槃像をご安置してあるパリニッバーナ寺院に参拝される仏教徒が絶えません。
さて、今月の法語には難しい語句がいろいろとあります。『末法』とは『正法』『像法』と合わせて考えられるものであります。『正法』とは正しい法(教 え)という意味で、『像法』の「像」とは「似」という意味があるそうです。正法、像法、末法とはお釈迦様が亡くなって五百年間は正しく法が伝わる『正法』 の時代があり、その後の千年間はだんだん怪しくなってきちんと正しく伝わっていかないけれども全く間違ってもいないという時代の『像法』があり、いよいよ きちんと仏法が伝わらなくなった時代という意味の『末法』の時代がやって来るのであります。間違えないでください『末法』とは仏法が伝わらないという事で あって、決してこの世の終わりを意味するものではありません。お釈迦様が亡くなって千五百年後というと、日本では平安時代から鎌倉時代という世の中が乱れ て社会情勢が非常に不安定な時代であったため末法思想は当時の世の中に受け入れられました。また道俗とは、出家して仏道を歩む人(出家者)と在家の仏教徒 を意味しています。正法の時代から像法の時代を経て、今まさに末法最中の時代であります。新聞やテレビでは毎日のように殺人事件が報道されています。人が 人ではなくなっている現代社会、その中に居てこんな世の中に何の疑問を感じない。私は殺人なんか犯さない、どこか別の世界での話とたかをくくっている自分 の姿、その姿に、その事実に恥じる人がどれだけいるだろうか、傷みを感じる人がどれだけいるだろうか。相手を敬い相手のいのちを敬う仏教徒が起こす今日の 事件の数々を見ていて思います。現代は怪しい教えが説かれ正しい教えを聴くことが困難な時代なんだなぁとつくづく思わされます。正法の時代がはるか昔と なって今、現実の今を私にかかわることとしてどれだけ恥じることが出来るだろうか。どれだけ自分の傷みとして感じることが出来るだろうか。末法の世であり ながらも・・・ なんまんだぶ
※末法思想の年数の区分は諸説あります![]()