2007年 10月のことば
直枉会発行の直枉カレンダーの月々の法語を私なりに味あわせていただくページです
最近、本屋さんに行かなくなりました。もともとあまり活字が得意な方ではないのでそのせいで行かないのもある事にはあるのですが、
いちばん大きな理由は、インターネットで注文して宅配で届けてもらえるものですから、いよいよ本屋さんに行かなくなってしまったのであります。届けてもら
えるのです。いまなら自宅にいて何でも美味しいものや欲しい物が手に入る時代ではないでしょうか。わざわざ出向いていかなくても向こうの側から届くのであ
ります。わが家では毎日の食料品まで宅配で届けてもらって、どうしても必要な物だけを近所のスーパーまで買いに行っています。お買い物は机の上でするもの
で、足を運んでするものでは無くなりつつあるのではないでしょうか。いよいよ十月一日から室蘭でも『地デジ(地上デジタル放送)』が開始されましたが、あ
れもいろいろなデータや情報が届くんですね。皆さんはもうご覧になりましたか。これは便利です。じつに便利です。そして画面がきれいです。何が便利かとい
うと、最新の天気予報やら、最新のニュースやら知りたい事を瞬時に知ることが出来る便利な機能が満載の放送なのであります。その情報がなんと携帯電話でも
見られるそうなんです。いつでもどこにいても情報が私の周りに届きまくっているのが現代社会なのです。私が気付いていようがいまいが、勝手に遍満している
のであります。
さて、『信心』というと、そのまま読めば「信じる心」宗教に対して大変に熱心な人の事、神仏を信仰することであったり、その心
持ちを言ったりするのが一般的な現代の解釈ではないでしょうか。しかし、親鸞聖人は『信心』に『ご』をつけて『ご信心をいただく』、『如来よりたまわりた
る信心』とおしめしになられています。『信心』は私のおこないではなく、阿弥陀如来さまのおはたらきだと説かれます。私が頑張って心をきれいにする行為に
は限界があり、どんなに頑張っても迷いを離れる事が出来ず、澄み通った心になる事が出来ないがゆえに濁った迷いの心しか持ち得ないこの私に対して、澄み
通った心を、迷いの現実をあきらかにするために、信(まこと)の心として私に届けて下さっているのであります。がしかし、私の現実は届いている事にも気付
けないほどの迷いの濁りに沈んでいるのであります。“ピンポ〜ン“「如来さまからお届け物です。なかみは苦悩の闇をはらす信(まこと)の心ですね。」「あ
りがとうございます」 なんまんだぶ