2007年 9月のことば
直枉会発行の直枉カレンダーの月々の法語を私なりに味あわせていただくページです
「ゆびきりげんまんウソついたら針千本の〜ます」ゆびきりです。子どもの頃よくやったのでないでしょうか。お互い約束を守ろう、相
手の人に約束を守ってほしいという願いからゆびきりをするのであります。約束する内容は、私につながっていてほしい、同じ思いを共有していたい、などお互
いの都合がうまく協調し合っている状態ですが、そのバランスを崩す事は簡単です。自分の都合ばかりを主張すれば反感をかい、いとも簡単に固い約束も破られ
ていくものであります。約束の内容をそのままに受け入れ、そうだよねと、うなずいていれたならば怒りもおこってこないし約束が破られる事は無いのでありま
すが、破ってしまうからゆびきりをしなければおれないというのが私の本性なのでありましょう。我が怒りをよくよく観てみれば私の都合に合わないがために起
こってくるだけの事でありましょう。
【信じる】という行為は、疑いの心と対になっていると考えられます。先月の三十一日でわが家の愛犬『ミッキー』が一歳になりました。誕生日のプレゼント
に大きな骨の形をした犬用のガム(牛皮を加工したもの)をあげました。大好きなガムをもらってたいそう満足そうでした。わが家に来た時で十六キロくらい
だった体重も今では三十キロを超えて(同じ犬種では小柄な方ですが…)大きくなったものです。その犬が寝る前に『明日もまた美味しいペットフードをお腹
いっぱい食べさせてくださいよ。私はあなたのことを心から信じて疑った事など無いのですから。私はあなたの忠実なペットなのですから、そのことを呉々もお
忘れなきようにお願い申し上げて今晩は休ませて頂きます。』などと言いもしませんし、考えもしていないでありましょう。なぜならば翌朝ご飯が食べられる事
を全く疑っていないからであります。疑いの心があるから裏切らないでほしいと思い約束をかわすのでありましょう。信じる心疑う心をもたない私の都合を一切
含まないお任せする心そうすれば怒りも争いも無くなるだろうに…
『親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄
土に生るるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して
地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ。』(歎異抄第二条) なんまんだぶ