2007年 4月のことば 直枉会発行の直枉カレンダーの月々の法語を私なりに味あわせていただくページです
ぞ うさんもうさぎさんも いのちの重みは みな同じ
ドクター・ドリトル(ドリトル先生)といえば動物と話が出来るお医者さんの話です。もし私が動物と話が出来るようになったとした ら、聞きたくないことまで聴かせられちゃうんじゃないかと思います。
あるとき牛と豚がこんな話をしていました。
『ところであんたは今何ヶ月になったんだい?』
『来月でちょうど20ヶ月になるから、僕もそろそろなんだよなぁ〜。いやだなぁ〜。僕の父さんも母さんもそういえばちょうど20ヶ月のちょっと前だった よ』
『そうかぁ〜、牛くんもだいたい同じだね』
『はぁ〜っ』
この二匹、少し時間をさきに進ませると、今度はこんな思いをしているんじゃないでしょうか。
『いただきま〜す』
『うっ、なんだこの肉は、かたくて噛みきれないじゃないか』
『う〜ん、あまり美味しくないなぁ〜、せっかく大金を奮発したのにもったいなかったなぁ〜』なんて会話を聞き、
【ふざけやがって、好きで殺されて切り刻まれて、焼かれて食べられて文句までいわれているんじゃないぞぉ〜!】という肉にされた牛や豚の心の叫びが聞こえ てきそうであります。
先日、クジラが入江の中に迷いこんで、それを外海まで戻してやろうとしているニュースが伝えられていました。結局一人の方が亡くなっていました。クジラ を食してきた日本人がクジラを逃がすために犠牲にまでなっている現代であります。
改めて考えてみれば人間のいのちに対する感覚、意識の持ち方なんて実にあやふやで、いい加減で、状況によっていかようにでも変わってしまうものでしかな いということがよくわかります。
普段の生活の中で、スーパーの精肉コーナーに並んでいる100g三百円のお肉になった牛や豚や鳥のいのちが、自分が可愛がって飼っているペットと全く同 じいのちの生き物であるということを意識なんかしません。可愛がっているペットが死ぬと火葬してペット用の納骨堂に安置までする方もあるようです。しかし スーパーで買い求めたお肉は、美味しく食べるために上手に調理するのであります。
家畜かペットか、ゾウかウサギか、身近ないのちかそうではないいのちなのかで変えているのであります。みんな等しく同じいのちを生きていることを忘れた ら、いのちを物としか見れない人生を送ることになってしまいます。 なんまんだぶ
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