2006年  1月のことば
直枉会発行の直枉カレンダーの月々の法語を私なりに味あわせていただくページです 

お 酒に酔っても宗教には酔わない ご信心で自己に目がさめる

 今日は大みそかです。深夜十一時四十五分から、除夜の鐘をつきます。多くの方々が過ぎゆく一年を振り返りながら、そして新しく始ま る一年に思いをはせながら鐘をつきにみえます。除夜の鐘をついてみたいなという方はどうぞお越しください。かりに百八つを超えても人並みが途切れるまでは ついていただいておりますのでご心配なく必ずつけますからと言っても今からでは一年さきのお話になってしまいますが…、鐘つきが終わるとお世話いただいた 方々と新年最初のお疲れさんということでちょっと一杯が始まるのであります。寒い中で働いたあとのお酒は効きます。ましてやボランティア作業のあとの心地 よい一杯となれば、非常に気持ち良く酔えるのではないでしょうか。酔うということはまわりの事や、自分の状況が的確に判断できなくなり、あげくの果ては 酔っていた時点の記憶が全くないということにまでなってしまうのであります。(私の経験とまわりからのご助言による話です)また、酔うということでは、お 酒による酔いだけではなく、お酒を飲んだときと同じように自分を見失う状況を言い表すことも有りますよね。「自分に酔う」自己陶酔の激しい人、自分のこと が世界で最高に素晴らしいと思い込む人〈ナルシスト〉なんてのもあります。現代社会を見てみると『宗教』に対するとらえ方の一端に、のめり込んで我を忘れ る状態とか、一般社会から断絶した状況、どっぷりと心酔した状態が宗教に対して熱心な人の状態と理解する向きもあるのではないでしょうか。確かに現代のマ スコミなどで騒がれる宗教団体などの多くはそういった類でありましょう。かりにそれが本来の宗教の役割を果たしているとしたならば現代社会は立ち行かなく なるでしょう。多くの人が我を忘れて、まわりの人の意見も聴かず、自分の歩んでいる道は間違いないんだ。どうしてほかの人たちはこの道を歩んでくれないん だろう。どうして奇異のまなざしを向けるのだろう。となっていくのではないでしょうか。本当の宗教のはたらきは、自己に酔わない自己中心的(ジコチュウ) という症状を的確に診断しアルコール分解の特効薬となってくれるものです。  なんまんだぶ

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