2005年  11月のことば
直枉会発行の直枉カレンダーの月々の法語を私なりに味あわせていただくページです 

や んで気づく世界あり 老いて味わう境地あり
 先日、CDを買いました。聴きながら歌詞を覚えようと思うのですがなかなか覚えられないのであります。ふと横を見ると小学生になる 娘が口ずさんでいるのであります。一所懸命に覚えようとしなくても水が流れるように頭の中に入っていくのでありましょう。私も昔はそうだった。でも最近 は、会話をしながら話そうとしている事柄がすぐに単語になって出てきません。「えっ〜と、あれよあれ、うぅ〜んとそれ、」と、いった具合です。最近の携帯 型ゲーム機のソフトには右脳を鍛えることを目的としたゲームがいくつか有るようですし、テレビ番組を見ていてもいろいろなスタイルのクイズ番組が放送され ていますが、非常に疲労感を覚えるのは頭の働きがにぶくなっているからなのでしょうか。
 さて、物覚えも悪くなり体力も衰え始め病気にはかかり若い元気な時には思いもしなかった自分の「老い」ということに直面し、老いて初めて『老い』にうな づける世界があることを、なるほどとわが身にいただくことができるのでありましょう。
 人が老いるということは、頭の中では十分に理解をすることが出来ますが、こと私の《老い》ということについては、老いてみないとうなづけない世界がある のではないでしょうか。日々《老い》の道をまっしぐらに突き進んでいるにもかかわらず、いつまでも若い頃出来ていたことは今でも出来るんだ。同じ体力をま だまだ維持しているんだと思い込み、それがそうではなかったと知らされたときに《生老病死》が、わが身において、なるほどお釈迦さまのお説きになられた四 苦八苦の人生を歩まずにはおれないのはこの私のことだったのですねと、気づき思い当たる世界があります。そのことがいよいよ仏様の仏法は私一人を目当てに 説かれているのでございますねぇと腑に落ちるのでしょう。
 いつまでも若く健康であることが当たり前で、年を取り病気をして初めて健康でいることが当たり前でないことに気付きなげく中で、四苦八苦の人生が我が身 のことであったのかと思い当たってくるのであります。その境地を味あわせていただくのは仏様のおはたらきに出遇えばこそなのでありましょう。  なんまん だぶ

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