2005年  9月のことば
直枉会発行の直枉カレンダーの月々の法語を私なりに味あわせていただくページです 

笑 顔と涙には国境はありません
 お寺に車でお参りにみえた方はもう気付かれたことでしょう。春からかかっていた境内地の整備事業が終わり一度にたくさんの方がお参 りにみえても駐車に困らないようになりました。隣接の土地を求め寺の境内地になったのであります。前の所有者からお寺の所有地に変わったわけであります。 土地には持ち主がいるのであります。必ず誰かが土地を自分の物にしているのであります。土地はいつから個人の所有物になったのでありましょうか。最初はど うやって所有者を決めたのでしょうか。お寺の境内地も土地の境界にはくいが打ってあり、土地の広さは厳密に管理され保証されているのであります。
 車で道路を走っているとまちとまちの境目にはそのまちの特徴を看板にして掲げてあります。わが町の看板にはたしかクジラをキャラクター化した『くじら ん』と白鳥大橋が書いてあったんではないだろうか。いや待てよ、港の船の絵だっただろうか。私の記憶など実にいい加減で怪しいものだ。日本中どこへ行って も行政区の境目の道路には、必ずここから先はどこそこの町にはいりましたと教えてくれています。個人も行政もみんなここは誰それの土地だということをはっ きりとさせます。誰が決めたか良くわからない所有権を行使するのであります。ヒグマやエゾシカやアザラシやトドには土地や海を所有する権利は発生してこな いのでしょうか。話が飛躍しすぎてしまいました。日本は島国なので歩いて国境を渡ることは出来ませんが、海外に行けばそれが出来るのであります。私も何度 か国境を越えたことがありますが、国境を越えるときそれは人がつくりだしたものだということをひしひしと感じることが出来ます。その最たるものが今はなく なった『ベルリンの壁』ではないでしょうか。その壁(国土)を守るためにいったいどれだけの人が命を落とし、涙を流したことでしょうか。
 宇宙から地球を見ると青くきれいに見え、そのどこにも国境など存在しません。国境は人がつくりだし、見えないものをあたかも見える物のように扱い、所有 し、奪い合うのであります。そうして人類の歴史は繰り返されてきたと言っても過言ではないでしょう。人を押しのけてでも獲ようとし、手にしたならばもっと 手に入れようとあえぎ、それによって多くの涙が流される。人間の欲とエゴからなる笑顔と涙の世界、お恥ずかしいことです。
      なんまんだぶ

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