2005年 8月のことば
直枉会発行の直枉カレンダーの月々の法語を私なりに味あわせていただくページです
先日、穂別町に行ってきました。穂別のお寺を会場にして、ご婦人の方々の大会が開催され、私も参加をしました。穂別のお寺の本堂の裏は、玉砂利がしかれ
池があるすてきな庭になっていました。池には鯉が泳いでいました。そしてなんと蓮の華が咲いていました。色とりどりの蓮の華が咲いていました。ふだんあま
り見れないせいか花にはとんと無頓着な私ですらもしばし腰をおろして眺めていました。蓮の華は泥沼の中に根をはりながら泥に染まることなくきれいな華を咲
かせることなどから、仏教では蓮の華を仏様の座であるとされています。池の中に葉がうかび、きれいな華が開いているすがたを見ていると、ふと「お浄土の
池ってこんなんかなぁ」と思ったりもしました。ひとつひとつの華がそれぞれに光り輝く世界でありましょう。正信偈の中に分陀利華(白い蓮の華)が出てきま
す。『【一切善悪凡夫人・聞信如来弘誓願・仏言広大勝解者・是人名分陀利華】(ほとけの誓い信ずれば、いと愚かなるものとても、すぐれし人とほめたまい、
白蓮華とぞたたえます)』蓮の華は仏様の華、阿弥陀さまの願いを聴かせていただく者はすべて真っ白な蓮の華のような人ですとたたえられるのであります。ひ
とつひとつの華がそれぞれに讚えられる世界は、やはり仏様の世界でありましょう。いまの世の中ひとりひとりが尊重される世の中だろうかと考えるといかがな
ものでしょうか。みんなと一緒だいたい中流、出来は程々、特別良くもなく悪くもなく、普通が一番の様な風潮があるのではないでしょうか。仲間意識とでもい
うのでしょうか。人並みはずれていなければいい、とびきりでなくてもいい。と思いながらもすば抜けている人を見ればうらやましくなり、ねたみの心もおこっ
てくる。どうして私は平凡なんだろうどうして私は勉強がすごく出来たりスポーツ万能だったり使い切れないほどの大金持ちだったりと、ほかの人よりもすば抜
けて光るものがないんだろうと、ねたんでみたりうらやんでみたり嫉妬したりするのであります。大きい華、小さい華、白い華、赤い華、青い華いろんな華が咲
いて、それぞれの華がそれぞれにひとつひとつ咲いている。だれもほかの華のかわりに咲いているのでありません。その華ただ一輪が尊いのであります。ほかの
華では変わることの出来ない華なのであります。私たち一人ひとりが、かけがえがないのであります。 なんまんだぶ