2005年  7月のことば
直枉会発行の直枉カレンダーの月々の法語を私なりに味あわせていただくページです 

お 仏壇の中心は阿弥陀さま亡き人もお育て受けた阿弥陀さま
 
   願い事にはいろんなものがあります。世界平和を願う心のように大きくて広い視野にたった願い事や、自国の利益が守られる事がまず大前提にあってそれから まわりの国々の平和と繁栄を願う心であったりとか、広い視野にたった願い事も、自分にとっての利益を優先するのか度外視するのか願う心によっていろいろと あります。もっと身近なことに目を向けると自らの体の健康を願うこともあれば家族や親しいものの健康を願うこともあります。宝くじを買えば当たって欲しい と願います。なかには買わないのに当たらないかなぁと願う人もいるのではないでしょうか。先日、プロ野球セパ交流戦北海道日本ハム対広島カープの試合を応 援に行ったときは、自分の好きなチームが勝つことを願うのであります。相手チームが負けることを願うのであります。【負けろ!負けろ!失敗しろ!三振し ろ!】と願うのであります。応援の結果は実に腹立たしい私の願いとは全く逆の結果となり、願いを立てたにも関わらずその願いが成就することなく怒りと愚痴 だけが増大するという結果になりました。私の毎日の生活は自分の都合によって沸き起こってきた願いを実現することに明け暮れしているのではないでしょう か。いやはやなんともお粗末な日暮らしだなと思わずにはおれません。私の毎日の中心は、私の内面から止めどなく沸いてくる願いであります。その願いは願望 であり私の望みでありそれは私の欲以外のなにものでもありません。私の欲を中心とした毎日を送るとなると、まん中がその日の願いや望みによって、あっちに 行ったりこっちに寄ってみたりと、ころころ変化して一貫性を持たないのであります。軸のずれたコマは廻らないように、中心を持たないと自分の欲に振り回さ れる大変な人生を送らなければならないのであります。それではどうしましょうか。そうです。お仏壇を見ると、中心に阿弥陀さまがご安置されています。お仏 壇は亡くなった者を祀るためにあるのではなく、私の中心になってくださる阿弥陀さまの世界をあらわすものであり、そのお救いをいただいて、我欲をはなれた ものの見方、考え方で生きることが出来るのであります。それはお念仏をよろこんで生き抜かれたおじいちゃん・おばあちゃんや親がそうしていたことから も・・・なんまんだぶ

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