2005年 3月のことば 直枉会発行の直枉カレンダーの月々の法語を私なりに味あわせていただくページです
迷惑かけずにいきたいけれど迷惑 かけずには過ごせません
「迷惑ばかりかけて申し訳ありません」「ご迷惑じゃなかったですか」このような使い方が私たちの日常的な《迷惑》の使い方ではないでしょうか。ほとんど の場合、自分の行いにより他人が被害を被るような時に《迷惑》を使うのではないでしょうか。さて、その《迷惑》を『広辞苑』で引いてみると、
1、どうしてよいか迷うこと
2、困り苦しむこと
3、他人からやっかいな目にあわされて困ること
と、書かれていました。
ふだん私たちがおもに使っている《迷惑》はここでいうと3番目の使い方でありましょう。1番も2番も自分ひとりの中で生じてくることであります。しか し、3番目は私と他人との間でおこってくることであります。親鸞聖人のお書物の中で使われている《迷惑》は、1番や2番の意味でお使いになられています。 『まことに知んぬ。悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざること を、恥づべし傷むべしと。』【教行信証・信巻】ご自身の悩み苦しみを書き記されておられます。親鸞聖人において《迷惑》は、あなたと私のかけるかけられる の問題ではなくご自身における心の中の問題としてお使いになられています。
さて、今月の法語『迷惑かけずにいきたいけれど迷惑かけずには過ごせません』は『広辞苑』の3番目の意味でありましょう。現代私たちが良く使う使い方で あります他人からやっかいな目にあわされて困ること、他人にやっかいをかけて困らせることを出来るだけなくそうと思うんだけれどもそれがなかなか出来ない んだよね。と言うことでありましょう。これは聞き違いをすると、どうしても迷惑かけずに生きられないんだから少しくらいの迷惑はかけられてもがまんしてお おめに見ていくぐらいの人になりましょう。ということになりはしませんか。この考え方は開き直りであって迷惑をかけた側の人に感謝も反省も存在していませ ん。日々の暮らしの中で感謝をし反省をする中で、迷惑かけどうしの生き方しか出来ないこの私でありました。その私がゆるされている世の中であります。だか らほんの少しだけでも迷惑かけないように頑張ってみよう。そんな私に迷惑(2番目)です。 なんまんだぶ![]()
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