2004年 11月のことば
直枉会発行の直枉カレンダーの月々の法語を私なりに味あわせていただくページです 

あ なたも そして私も 如来(おや)さまに 抱かれています
 
  最近のテレビや新聞のニュースを見たり聴いたりしていると“えっ”と絶句することがよくあります。わが耳をうたがってしまうのであります。 そして本当だろうかとニュース自体をうたがってしまうのであります。《子供がなつかないから虐待した》《夜泣きがうるさくてイライラしたから投げ落とし た》とか、私にはどうしても本人のいう犯行理由と結果的におよんだ犯行とがどんなに考えてみても絶対に結びつかないのであります。人殺しに正当な理由など 無いのでありますから。犯罪を犯したものの言い分をそのまま伝える必要があるのだろうか。どうしても伝えるのなら伝える側の人は『犯行の動機について、私 には理解できませんが』と一言でいいからいって欲しいと思うのは私だけだろうか。犯行理由をそのまま報道する今のあり方はいかがなものでしょうか。私の考 え方は現代の日本においては特別視される考え方なのだろうか。
 最近、政府公報のテレビコマーシャルで、子供への接した方が苦手な親に対して、まずは抱きしめてあげなさいというものがありました。抱きしめるというこ とはどれほのど安らぎ、安心、よろこびを与えることだろうか。親に抱きかかえられる時に赤ん坊は『ねぇねぇ、ちゃんと抱いててね、絶対に落とさないでよ、 お願いだからね、約束だからね』とは言わないのであります。反対に抱きかかえられているにも関わらず動いて暴れて落ちそうになったりしても落ちてしまうと いう恐怖心を持たないのであります。赤ん坊にしてみれば絶対に落ちない間違いなしということでありましょう。
 如来とは私を見捨てないのであります。間違いのない真実なのであります。いろいろな知恵をつけるがゆえの悩みおおきこの世の中で、真実を見失おうとも私 を抱きかかえてくださいっているのであります。苦悩の私・煩悩の私・反抗児の私をそのまんまにまるがかえ【迷っておるか、そうかそうか、まかせておけよ】 苦悩の人生の中にあっても安心しておまかせの人生を歩まさせていただけるのであります。腕の中で暴れているにも関わらず。なんまんだぶ

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