2004年 5月のことば
直枉会発行の直枉カレンダーの月々の法語を私なりに味あわせていただくページです
春の遅い北海道にもようやく花の便りが聞こえてくるようになってまいりました。これからはいっきにさまざまな花が咲き始めます。今年は三月の末に京都に
行きご本山に参拝してまいりました。三月末の京都は桜の花が咲きはじ北海道よりはひと足早くお花見を楽しんできました。そしてまたこれから今年二度目のお
花見が楽しめるのであります。私はこれまでに一度だけその年に桜の花を全く見なかった年があります。忘れもしません一九九一年のことでした。その年は北海
道の桜が咲きはじめるかどうかという五月の連休中に京都での研修に入りました。当然京都の桜は終わっていましたし、研修が終わって戻ってきた七月には当然
北海道の桜のシーズンは終わっていました。全く花見が出来なかった年のことは忘れないでありましょう。春といえば長い冬が終わり暖かい季節の到来を告げる
ように桜が咲きはじめそして散っていく。そんな季節とそんな花がみんな大好きなのはどうしてなのでしょうか。スマップの歌った『世界に一つだけの花』とい
う歌がありました。ひとつひとつの花がそれぞれにひかりかがやいているものを、人間がこの花がいい、いやいやそっちの花がいいと、花どうしを比較して善し
悪しを決めているのであります。個人の好き嫌いだけを頼りとして、花にしてみれば余計なお世話であります。それでもまだ花はお花屋さんの店先でそれぞれが
競い合うように名前もつけてもらって(花は頼んで付けてもらった名前ではないのではありますが)きれいに並べられているからまだしも、道端にはえている草
なんか見向きもされない、踏みつぶされてちぎられて、誰にも見向きもされないのであります。庭に生えてきた草なんか最悪の状態です。「このよけいな草がほ
んとジャマなんだから何とかはえなくする方法ないもんかしら」抜かれるだけならまだ土の中に根っこを残してまたはえてこれるけれども、草からしのような薬
をまかれて根こそぎ除去されてしまうのであります。私に都合のいい草は私のとって大事な草だという意味の名前を(草にしてみればいらないのに)もらうので
あります。私のとって価値のない草は雑草【いろいろな、さまざまな草】という意味の名前を付けられるのであります。私は桜のことを雑花とは呼びません。見
られなかった年があるだけでここまで気持ちを引きずらなければならないのですから。いろんな草や花があってすてきな景色なのに…世の中の花が桜ばかりだと
あきるのに・・・ なんまんだぶ