2004年 4月のことば
直枉会発行の直枉カレンダーの月々の法語を私なりに味あわせていただくページです  

苦 悩盡きることなき故に如来の大悲も亦盡きず
 
   春になるとぼーっとしていたくなる。何も考えず何かを見るわけでもなくただぼーっとしていたくなることがあります。何も考えずにまるでなんの悩みもない かのようにであります。暖かな季節になり体も心もいくぶん柔らかになってきますが、おだやかにゆったりとしていても心に悩み苦しみが無くなるということは ないでありましょう。私の苦しみ悩みはいつ終わることなく、尽きことなどありません。来る日も来る日も、悩み苦しみを抱え、背負いきれずあふれんばかりの 人生を送っているのであります。また、それだからこそ仏さまの大悲も尽きることがないのであります。ということは仏さまの大悲はこの私のために存在してく ださっているのであります。こんなことを書いたら申し訳ないことでありますが何だかピンと来ないのはどうしてでありましょうか。悩みが多すぎて仏さまのお 悲しみなど私には気づくひますらなく、気づくことが出来ないでいるのであります。
 『大悲』とは…大いなるあわれみであります。悲は、あわれみ、同情心。他人の苦を除くのが【悲】で、他人に楽を与える【慈】と対せられると考えられた。 (広説佛教語大辞典より・東京書籍刊)
 私たち浄土真宗の門徒がよくお勤めする正信偈のなかに『煩悩障眼雖不見(ぼんのうしょうげんすいふけん)大悲无倦常照我(だいひむけんじょうしょう が)』(煩悩、眼を障(さ)へて見たてまつらずといへども、大悲、倦(ものう)きことなくしてつねにわれを照らしたまふ…悩みの雲にさえぎられ、仏のすが たは見られない。されど如来はあくことなくいつもわれをば照らしたもう)とおしめしになられています。
 苦悩が尽きないということは、煩悩に眼がさえぎられて見なければいけないことが見えていないということなのですね。「倦(けん)」とは倦怠期の倦です。 それが无(無)なのですから、阿弥陀さまの大悲心はつかれをしらずあきることなく常に私のことを照らし続けてくださっているのであります。が、なにしろ煩 悩障眼でありますから、なかなかそのままに阿弥陀さまの大悲をよろこべないのであります。じつはなんと私だけがよろこべないのかとおもいきや、久遠劫より いままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだ生れざる安養浄土はこひしからず候ふこと、まことによくよく煩悩の興盛に候ふにこそ。・・中略・・いそぎ まゐりたきこころなきものを、ことにあはれみたまふなり。《歎異抄第九条》親鸞様も同じだったのだそうであります。さてさて、阿弥陀さまはこの私を苦悩か ら救わんがために手をさしのべてくださっているのであります。南无阿彌陀佛 

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