2004年 1月のことば

直枉会発行の直枉カレンダーの月々の法語を私なりに味あわせていただくページです  

御法座につらなったおかげで 如来さまに お育てを頂きます
 毎年大晦日に除夜の鐘をつきにみえる方がたくさんいらっしゃいます。三十一日の十一時四十五分からつきはじめて 十二時から本堂では新年のお勤めがはじまるのであります。例年除夜の鐘をつきにみえる方の数はさほど変わりはしないのですが、本堂で一緒にお参りをされる 方は減少の一途をたどっています。寂しいかぎりです。除夜の鐘をつきにみえる方の中には鐘つきのはしごをして、それから神社の初詣でに行くという方もある ようです。暮れ行く年の最期はお寺で鐘をつき、日付が変わり年が明けたなら神社へ新年の初詣でをする。それが日本人の文化だと胸をはるかたもいますが、は たしてそれでいいのでしょうか。たしかに日本の文化は、おぎゃぁ〜と生まれるとお宮参りにはじまって、結婚式はクリスチャンでもあるまいに教会で「永遠の 愛を誓いますか?」と牧師さんにきかれれば「ハイ!」と返事をし、人生最期をむかえれば仏教徒としてお葬式をする。人生の中で何回も宗教を改宗して忙しい ことであります。外国の人がそんな日本人の宗教観を見たときに、日本人はなんて宗教に寛容なんだろうとみるそうであります。これは一見ほめているようには みえますが、「どうしていろいろな宗教の儀式を取り入れた人生を送るのだろう?」と、実のところは理解しがたいのではないでしょうか。さて、みなさんは人 生の節目節目でむかえる儀式について深くその意味合いなどについてお考えになったことはあるでしょうか。多くの場合、親がそうしてきたから、代々そうする ものだと教えられてきたから。そこには『なぜ』『どうして』が全くないのではないでしょうか。「あなたの宗教はなんですか」と尋ねたらおおかたの人は「う ち(家)の宗教は○○です」と答えられます。あなた個人の宗教を尋ねているのに、家の宗教として返事をされます。宗教は代々受け継ぐものでそれを守ってい ればいいのだという感覚なのでありましょうか。 鐘つきだけして帰ってしまうと、なぜ鐘を突くのか、なぜ宗教は個人のものなのか、赤ちゃんが生まれたときはどうすればいいのか、結婚式はなぜ、どこで、ど のように挙げればいいのか、お葬式はどうして勤めるのか、という疑問もわいてこないでしょう。しかし本堂の中に入ってみたならば、人生におけるさまざまな 儀式の理由も意味もみえてきます。。騙されたと思ってこんどは本堂の中に入ってみませんか。御法座につらなってみませんか。    なんまんだぶ