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さて、今月は仏法を聞くとそれが邪魔になるのだそうであります。仏法が私の生活の邪魔になるとはいかなることなのでしょうか。仏法は、私の毎日の暮らしの中で役立ってくれるものではないのでしょうか。なんとも変なことを言う今月の法語だなぁと思われた方も多いことでしょう。
仏法を聞いていくとは、仏さまの真実まことをの法を聴かせていただくということであります。私において真実が、真実とわかってくるということは、私に真実がないから仏法が真実であるとみえてくるのであります。「あなたは男ですか?女です?」と質問されたとしましょう。「なんて分かりきった質問をするの」と言われるでしょう。それは男も女もどちらもよく知っているから簡単に自分は男だ女だ、ということが出来るのであります。しかし、真実ありのままに私が見えてきたら困ることがいっぱいあります。あれも煩悩これも煩悩と知らされると実にしんどいことであります。長生きしたい、健康でありたい、お金持ちになりたい、人によく思われたい、などなど永遠に続くことなどあり得ない願いの実現に四苦八苦している私に、それは欲望を満足させようとしているだけだとお聴かせくださったなら今の私には邪魔になってくるのであります。私が不実な存在でしかあり得ないという真実を私に突きつけてくださるのであります。どうして仏様は欲望を追及しようとしているのに、欲望の追求だけしていて良いのかなぁ?と邪魔をされるのでありましょう。仏法を聞いて仏法が身に付くということをご信心をいただくといいます。信心をいただけばどうなるのか。靴の中に小さな石ころが入っているようなものだといわれた先生がおられます。靴の中の小さな石ころはわざわざ靴を脱いでまで取りだすほどでもないけれど、歩いていると時々足にチクチクと痛みを与えることがある。邪魔なんだけれど通常はそんなに気にならない。 不実な私が真実によって明らかにされるときチクチク痛むのであります。この痛みが煩悩だらけの証拠の痛みなのであります。 ほんとに邪魔なんだから・・・ なんまんだぶ