2003年 11月のことば

直枉会発行の直枉カレンダーの月々の法語を私なりに味あわせていただくページです  

いろんな色の葉っぱがあって山全体がきれいなんだ
   紅葉する葉っぱは種類や気候の変化によって色づきがかわってきます。そして朝晩の気温の寒暖の差で山全体の紅葉のあざやかさも違ってきます。人間もまた同じく生まれ育った環境によっていろんな性格の人がいるのであります。しかしながらそれを「人はかくあるべきであってこうではダメなのである」というような排他的な考え方を通そうとする人がいますが、その考え方は実に危険なことであります。

 いつぞやのお東さん(真宗大谷派)のスローガンだったかと思いますが、『バラバラで一緒』というのがありました。それぞれ違っていてその違うものが集まってひとつの社会を作り上げている。バラバラの個々が集まって一緒になって社会をつくりあげている。これが『みんなが一緒』とかいわれると非常にきゅうくつでそんなところに居たくないと思うのは私だけだろうか。 みんなが同じ考え方で違ったことを許さないとどんな世の中になってしまうのだろうかと考えると、近代日本にもそんな時代があったことに気付きます。年配の方はお気付きかと思います

 戦前・戦中の世の中は違った主義主張が許されない時代であります。もし体制に逆らう者は非国民と呼ばれ非難され阻害される世の中だったのであります。まさしく国民全員が訳のわからない、理の通らない理屈で全員右向け右といったような思想統制をし、違った意見など一切許さず、戦争を正当化していた時代でありましょう。いま第二次世界大戦をふり返って検証したならば、それぞれ自由に意見をいいあうことが出来ます。そして、今の日本のあり方についても自由に意見をいうことが出来るのであります。平和のための国際貢献についてだとか、自衛隊のイラク派遣についてだとか、消費税率のアップについてだとか、年金制度についてだとか、自民党は嫌いだとか民主党は頼りないとか、与党がいいだの、政権交代したほうがいいだの、自由に人それぞれの意見をいいあえるのがいまの世の中でありましょう。

 いろんな個性があってさまざまな色を描きながら社会全体ができ上がっているのは、私という個性がひとつの色として世の中に存在できているということであります。私が受け入れられているのであります。私が世間を受け入れていろんな意見を聞いてやっているように感じたとしてもそれは実は間違いであって大きなおごりなのであります。

 自分が受け入れられているのだからこそ、相手も周りも受け入れ大事にしなければいけないところに素晴らしい世の中が描き出されてくるのでありましょう。世の中が私と同じ人間ばかりで出来上がっていたらと思うとゾッとする。  南無阿弥陀仏