2003年 4月のことば

直枉会発行の直枉カレンダーの月々の法語を私なりに味あわせていただくページです  

若さとはオドロキの持続である
  最近、子供といっしょに外で遊んでいるとつまずいて転びそうになったり、思うように走れなかったりするようになってきたと感じることがあるんです。あくまでも感じるだけですけれど・・・・・むかしはもっと早く走れたのに?おかしい!もう少し頑張れたのに?!といことが・・・・・だんだんと体力が落ちてきて「もう若くないんだからぁ〜」という声がどこからか聞こえてくるのであります。これは「若さ」とは体力であり、体力があることが体力が無いことよりも優れているのであります。実際はお年を召しておられるのだけれど「若い」と言われる人たちを見てみると、みんなはつらつとし生き生きとしておられるように見受けられます。たしかに「若く」みえる方は元気で体力もある方がほとんどであると思います。しかし、それは外面的な目に見える「若さ」のことでありましょう。今月の法語では「若さとはオドロキの持続である」とでは内面的にわいてくる「若さ」というものもあるんですよと言われているのではないでしょうか。驚くことがずっと続くこと、日々の暮らしの出来事にどれだけオドロキを感じそのことに感動できるかが大事なことかと思います。感動するこころを持ち続けること、感動し続けること、こころをゆさぶられ続けること、オドロキに感動できる柔かなこころを持ち続けていたいものです。わたしのまわりを見渡してみると、ものごとにオドロキを感じこころゆり動かされている人は年齢的に若い人に限っているわけではありません。

 『あっ、こんなところに花が芽を出している』『今年も桜の花を観ることができたなぁ』と当たり前じゃないですかと言ってしまいそうなことに感動しオドロキを感じることができることが「若さ」の証明なのでしょう。体力があることだけが「若さ」ではないのであります。以前、大相撲をみて『感動した!』といった方がありましたが、今のイラク戦争で人が死んでいく現実に心は動かないのですか?小泉さん!       なんまんだぶ