2003年 3月のことば

直枉会発行の直枉カレンダーの月々の法語を私なりに味あわせていただくページです  

お経は如来さまからわたしへのお便り
  「しろヤギさんからお手紙ついた、くろヤギさんったら読まずに食べたしかたがないのでお手紙書〜いたさっきの手紙のごようじな〜あに?」幼いころに唄ったことのある歌です。しろヤギはくろヤギに伝えたいことがあったのに、受け取るくろヤギが食べてしまって伝わらないのであります。手紙は伝えたいことがあってそれを伝える手だてなのであります。私に用事があってお便りが届いているにもかかわらず読んでいなければどんな用件で何を言いたいのかわからないでありましょう。さて、お経が仏(如来)さまからのどんなお便りなのでしょうか。お経はお釈迦様がお弟子や救いを求めに来られた人々に語られた説法の数々であります。お釈迦様のご在世の当時は直接説法を聴くことができていましたが、お亡くなりになってからはお釈迦様の説法を文字に残して後の世に伝えていくことにしようとお弟子さまたちがお集まりになりお釈迦様の説法のひとつひとつをていねいに書き残されたものであります。『如是我聞または我聞如是(私はこのようにお聴かせにあずかりました)』のことばで必ずはじまっています。そして、お経の中では「舎利弗よ、阿難よ」とお弟子さまたちの名前も多く出てきます。「ほとけさまからお手紙がついた、このわたしったら読まずに食べた」ならまだ届いたことを知っているから良いようなもので、私の毎日の暮らしの中でどれだけ仏さまから届けられている願いのメッセージを読んでいるでしょうか。はじめの歌ではないですが、読まずに食べたから問い返したくろヤギさんはたいしたもんだと思います。なにしろ届いていることに気付いて聴いていこうとする姿勢があります。それに引き換え私は読まずに食べるどころか願いのこもったメッセージが届いていることすら気付かずに知らん顔をしているのではないでしょうか。お経の中の「舎利弗よ、舎利弗よ」のお言葉はそのまま私のことをお喚びなのだなといただくことかと思います。       南无阿彌陀佛