2003年 1月のことば

直枉会発行の直枉カレンダーの月々の法語を私なりに味あわせていただくページです  

食材というが“いのち”合掌していただく
  「位置について、よーいドン!」でスタートするのはかけっこというのが世の中の定番だったのは、むかしの話なのだそうであります。小学校などでの給食の時間にみんなそろって食べはじめるときにいう言葉は、手を合わせて「いただきます」が定番だったのはむかしの話なのだそうであります。ウソかほんとか知りませんが、最近の公立学校では合掌して給食を食べはじめるのは、宗教的な意味合いを含んでいるので好ましくないとかで手を合わせて「いただきます」はしないという学校があるのだそうです。その代わりに食べはじめる合図として、よーいドン!で食べはじめたり、笛の合図で食べはじめたり、ということが起こっているのだそうであります。中には太鼓の音で食べはじめるところもあるように聞いたこともあります。むかしの合戦の合図じゃあるまいし、なんとも信じられないことであります。給食を食べはじめる自分の姿に先生は疑問を感じていないのでありましょうか?笛で食べはじめる先生も幼いころは手を合わせて食事をいただいていたはずであります。親はそう教えていたはずであります。現代の食事はそこに“いのち”が観えにくくなっています。

 たとえばスーパーでパックに入った肉を見て「うわぁ〜すごい霜降りのおいしそうなお肉、食べてみたいわぁ〜。でも高くてとっても買えません」とは思っても「この肉になった牛さんには家族は無かったのだろうか、何歳だったのだろうか、さぞ未練だっただろうに申し訳ないことです」などといってみる人はいないでありましょう。これは極端な表現ではありますが、私という人間は周りの生き物の命を奪わずには生きていけない存在であり、そこから逃れて生きていくことはできないのであります。そのことを棚にあげて肉も魚も野菜も食材はすべて私が食べるためにあるものなんだ。「よーいドン!」で食べはじめていては仕方ないことかも???     南无阿彌陀佛