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朝晩お仏壇に向かってお参りをしている方は違いますが、核家族化の進んだ今日においては、日常生活の中でお経に触れる機会と言うのは、ご法事やお葬式くらいでしょう。
お経は、かの有名な三蔵法師が天竺から担いでもって帰ってこられたもので、やがて中国から日本へと伝わってきのであります。 その中身は、およそ二千五百年前にお釈迦様がお弟子や信者に向かって説法されたお話を書き残されたもので、ひとつひとつのお経にはすべてありがたいお話が書き記されているのであります。どのお経も『如是我聞または、我聞如是(私はこのようにお釈迦様からお聞かせにあずかりしました)』からはじまり、仏様のお救いをよろこばれたお弟子たちの宣言ではじまり、本当の自分の姿を知ったならばとうてい自分自身の力だけでは立ち上がれない私を見抜き見捨てないと誓われた仏様のおはたらきを示されているのであります。
日々の暮らしの中で、人と人とのつながりの中で迷い苦しんでいる愚かな私は、愚かであることに気付きもせず、仏様のおはたらきに気付くこともなく、ご法事のお経の最中にありがたぁ〜くなっているのではないでしょうか。ということは寝てしまう私は仏様に見捨てられていないというあかしなのでしょう。 称名