畳の歴史


1300年の軌跡


古代
5世紀
7世紀
草筵に雑皮を表とし、ふちどりをしたもので寝具を兼ねた敷物だった。菅畳・皮畳・キヌ畳 畳が文献に出る最初は、古事記(中巻神武天皇の条)に、若御毛沼命と大物主神の娘・伊須気余理比売の婚姻のくだりに、「芦原のしけしき小屋にスガタタミいやさや敷きてあが二人寝し」とある。
奈良時代 畳に厚みが加えられ置畳が出来た。 正倉院にのこる聖武天皇と皇后の御床畳は薦筵を折りたたみ藺草表をつけ緋(黒)地の錦の端をつけた畳で長さは237cm,巾119cmあったといわれる。
平安時代 寝殿造りの普及。畳が座具、寝具を兼ねていて身分や地位により畳の大きさ、厚み、畳縁の色・柄などが定められた。 延喜式によると、畳の大きさは、一位→6尺(182cm)×4尺(121cm)。二位→5尺(152cm)×4尺。三位→4.6尺(139cm)×4尺。五・六位は、4尺×3.6尺(927cm)と定められていた。また、畳縁は、帝院は繧繝縁。神仏前の半畳も同じでよいが、その他は用いてはいけない。親王・大臣は大紋の高麗縁・大臣以下の公卿は小紋の高麗縁。僧中・僧正以下も同じ。有職か非職は紫縁、四位・五位の雲客も紫縁。六位侍や諸寺、諸社三網等はみな黄縁を用いると定められていた。
鎌倉時代 書院造りの普及。畳から布団が分かれた。 武家屋敷では寝所に畳が敷き込まれるようになった。
室町時代 小さい部屋割りが行われ、畳の敷き詰めが拡まった。
安土・桃山時代 綿ぶとんが普及し、町家や農村でも畳が敷かれるようになった。 当時、庶民にとって畳と布団は貴重品だった。
江戸時代 数寄屋造りが登場した。 畳の寸法を基準とした畳割り建築が京都を中心にして拡まった。江戸は柱割りであったので京間(191センチ)に比べ江戸間(176センチ)は小さなサイズになっている。
明治時代 文明開化に伴い、畳の上に椅子・テーブルなどの洋風調度が持ち込まれた。
明治時代末 畳床を作る製畳機が一部実用化された。 まだ農村では婚礼・法事以外、日常的にはこも、むしろ、上敷などが敷かれていた。
大正時代 産業革命により都会への人口集中が始まり畳が大衆化した。
昭和初期 畳を縫い上げる縫着機が開発された。
戦後~現在 畳縫着機が本格的に使われるようになり、畳の機械縫いが一般的になった。 団地の出現により、新たに団地サイズ(170cm)が生まれた。大量需要が生じ、大型機械の導入・コンピューター化が急速に進んだ。
                  

兵庫県畳技能士会 技能体験資料より。



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