私とオカリナ

Violin、木の楽器。オカリナ、土の楽器、土の音。
私の音楽と楽器の変遷です。最初はViolinを作ろうと思ってましたが、いつのまにか
オカリナを制作していました。                        
私と音楽
私は昭和9年生まれです。生家は着物(和装)の生地を生産している機家でした。生地を
織る機械(織機)の音は凄まじく、女工さん(織姫)が、かなりの声量で歌を唄っても   
他の人に迷惑になることはありません、ですから職場は、毎日が複数の唄い手さんの共演  
の舞台でした。そんな家庭に生まれ育った関係か、小学校の音楽の時間はさほど好きではあり
ませんでしたが音楽そのものは好きで、唄は下手ではなかったようです。(通信簿は何時も最
高点でした)そんなある日、祖父がハーモニカを買ってくれたのです。   (後に分かった
ことですが、私がViolinを弾き始めたそのViolinも、私の父が祖父に買ってもらった楽器でし
た。私の父はViolinを弾けませんでしたが)音楽の授業が嫌いな私が譜面が分かる道理があり
ません、ですからハーモニカを奏でることは当然できません、しかし、結果はハ調の音楽でし
   たら譜面なしで何でも吹ける様になりました、私の音楽入門はここから始まりました。   
   

 私とViolin
昭和28〜29年頃だと思います。押し入れの上の納戸から世界文学全集(これも祖父が父に与えた
様です)の全巻の中から探しものをしていましたが、暗闇の納戸を探索したくなり、目的なく好奇心
だけで探していたところ、この家に相応しく無いViolin(鈴木留吉のNo38)が出てきたのです。  

私とN響コンサートマスター
昭和32年頃 当時のNHK交響楽団のコンサートマスターである外山滋さんが、無償で、私が入団 
していた足利市民交響楽団と、ヴェートーベンのヴァイオリン協奏曲を共演して下さったのです。
その時に、外山さんのViolinを盗み弾きしたところ、音量の大きさに驚きました。       

私とオカリナ
実を申しますと私はViolinを作りたかったのです。
昭和30年代で、欧州のViolinの材料を入手するのは当時の私には無理でした、しかし、制作
意欲だけは消えませんでした。 Violin制作がいつしかオカリナになっていました。   
オカリナは大変に素晴らしい楽器です、Violinと同じくピッチベント奏法が出来ます。
半音も簡単に出来ます、音は初心者でも出せます、(音楽的となりますと練習が必要になり
ますが)持ち運びに簡便です、音色が純音に近いそうです、(あるチュウーナー.メーカーの
    技師さんの話)音色は奥行きのある
まろやかな音です。                    

私とオカリナ制作 
楽器は音楽的音を奏でるものです。オカリナも楽器の仲間でしたら音楽的な音を出せなければ
なりません。オカリナの素材は土です、素材が土であるところに苦労があります。制作の都合上
土に水分を加え粘土上にします、粘土上で成形したオカリナの音と、乾燥させた時の音と、  
焼成した時の音はそれぞれ違います。オカリナから水分が無くなるにつれて、オカリナが縮小し
音がだんだん高くなります。よしとした笛が、出来上がったときには中途半端な音になったりし
ます。それと、13音が確実な音でなくてはなりません
一番低い音が多少高かったり、一番高い
音が低かったりでは
やはり楽器とは言えません。この現象は大部分が素材の影響です、制作者
泣かせ、一番難しい処です。 私は時折、オカリナ制作教室を頼まれ、制作指導をしますが、 
小学生でも確実な音で、10音程度出る笛を作るのはさほど難しいことではありません。残りの 
3音が出ないのです。特に低い音を出せた時は高い音が出なかったり、高い音が出た時は低い音
が不確かであったり、と、難しいです。 最後の1〜2音を出せるのが制作者の命と思ってます。
私のオカリナは素焼きです、ですから結露現象で演奏不可能はありません。素焼きのイメージ 
は植木鉢です、素焼きの植木鉢の感触を口にあてることは楽器としての一つの使命に反する気 
がします。 そうかと言って、折角の素焼きの特色を捨て、上薬や化学的塗料で素焼きの感触を
補うつもりはありません、その様な気持ちの結果が偶然に写真の様なオカリナになったのです。
楽器は見た目がそれとなく美しく、触ったとき、なんとも言えない感触等も一つの使命と思って
います。                                       


早川オカリナ工房 グループの紹介 演奏活動 最近のコンサート 注文方法