この個所を最後に残しておいたのは、このエフェソ書を書いたパウロがなにを言いたかったのかが書かれてあるからです。
全体を通してイエス・キリストを信じる私たち、すべての人がキリストによって一つであることを伝えたいと思って書いた手紙だろうと
思うのです。
そしてそれを知ったとき、神の栄光をたたえることになるのです。
つまりこの個所は結論の先取りなのです。
10節「こうして…あらゆるものが頭であるキリストのもとに一つにまとまられます」→14節「わたしたちは贖われて神のものとなり、
神の栄光をたたえることになるのです。」ということなのです。
一つになることのすばらしさ、ということで思い起すのは三浦綾子・光世夫妻のことです。
彼女が入院中、初めに光世氏に会ったとき、好きな聖句を尋ねました。光世氏はここを読み上げました。
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい。私の父の家には住むところがたくさんある。
もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くといったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、
戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいるところに、あなたがたもいることになる。」
(ヨハネ福音書14:1〜3)
そして好きな賛美歌は435番「主よみもとに」でした。
この聖句は納棺式の時に読むところで、この賛美歌はお葬式のときの歌なのです。
そのときはご存知なかったのでしょうが…
これによって、彼の心の位置がわかりました。
それによって生かされている聖句や歌。
どのようなときにも主をほめたたえる信仰を持ちたいものです。
わたしたちは、現状に不満なことが多く、「このことがなければ神をたたえられるのに」と思うことがしばしばあります。
それは自分でマイナスだと思うことに支配されてしまうことです。
そのマイナスの中で祈り、主のみ言葉に従う生活をしたいと思います。
すべての出来事は、かみとわたしたちが、イエス・キリストにおいて一つとなることなのです。
それをパウロは知らせたかったのです。
世の中には不公平なことがたくさんあります。
しかしわたしたちは、比較の世界で幸不幸を見るのではなく、神様と自分との関係で考えることができます。
主の御計画を信じ、主をほめたたえ、栄光を神に帰することがわたしたちのなすことのすべてなのです。
復活の主は今も生き続け、希望を与え続けています。
今週も喜びのうちに主を賛美する日々を送りたいと思います。
(説教:菊池牧師)
