8月11日の説教

イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。
弟子たちはこの人々を叱った。
しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。
「子供たちをわたしのところに来させなさい。
妨げてはならない。
神の国はこのような者たちのものである。
はっきり言っておく。
子供のように神の国を受け入れる人でなければ、
決してそこに入ることはできない。」
そして子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

(マルコ10:1〜10)


ユダヤでは子供と女の地位は低いものでした。
聖書でも、イエス様がパンと魚を分け与えるところで
「食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった」(マタイ14:21)
「というのは、男が五千人ほどいたからである」(ルカ9:14)
などと書かれています。

しかし子供は、神から与えられたものであるという考えもありました。
ユダヤでの教育では、3歳までが哺乳期、3歳から宗教教育が開始されます。
七歳が学齢期で、シナゴーグで朝から晩まで旧約聖書すべてを暗記させられます。

さて、幼子をラビのもとに連れて行って祝福をしてもらうことは、当時としては普通のことでした。
弟子たちが子供たちを連れて来た親たちを叱ったのは、十字架への道を歩み続けるという緊迫した状況の中で、
イエス様を気遣ってのことだったのでしょう。

しかしイエス様はその子供たちを抱き上げて祝福してくださいました。
これには子供に対する深い愛情があります。
ここでイエス様がおっしゃっている「子供たち」というのは、本当の意味での子供たちということばかりでなく、
自分を無力な存在だと思っている大人たちをも含んでいます。

弟子たちが子供を連れて来た親たちのほうを見ているのに対し、イエス様は子供たちのほうを見ています。
「子供たちをわたしものとに来させなさい」と言う言葉には、子供たちの自由に対する尊重が含まれています。

どんな状況がきっかけであれ、わたしたちは教会にきた時点で、自らの意志によってイエス様に駆け寄って、
抱きしめてもらうことができるのです。

今週もイエスさまの愛を感じながら歩んでいきたいと思います。


                                                               (奨励:皆川執事)





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