7月14日の説教
心の貧しい人々は、幸いである、
天国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
柔和な人々は幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
(マタイ福音書5:3〜10)
山上の説教は読む者に慰め、希望、勇気を与える命の御言葉です。
その中の「平和を実現する者は幸いである」は、神が何を語りかけ、何を求めているのでしょうか。
まずイエス・キリスト御自身が平和の実現者です。
神はこの世の一人一人に目をとめ、哀れみ、イエス・キリストを救い主として遣わしてくださいました。
わたしたちはそれぞれ限界、愚かさ、破れ、悩みを抱えています。
そのようなわたしたちに目をとめ、神が憐れんでくださる。
これはわたしたちの身に起こった事実です。
たとえば、もし教会に今日初めて足を向けたという方がいらしたら、そのこと自体が神の御恵みなのです。
イエスが神の福音を宣べ伝えた最初の言葉は「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:14,15)
というものです。これはイエス・キリストの言葉の総括、核心でもあります。
つまり最初の言葉にして最後の言葉なのです。
新約聖書は、神の国はイエス・キリストによって近づいたのだということを宣べているのです。
「神の国」の「国」とは支配ということを意味します。
神の御支配は、イエス・キリストによって我々にもたらされています。
旧約聖書で言われているメシアとはイエス・キリストにほかなりません。
そして、メシアによる神の支配が行われるところにシャロームがあります。
シャロームとはヘブライ語で「平和」「安らぎ」を意味します。
存在の根底からの安らぎ、平安なのです。
本当の安堵・平和は存在する者に対して太鼓判を押すものです。
ミカ書5章には「彼こそまさしく平和である」(4節)とあります。
メシア到来の預言です。
イザヤ書にもシャロームの事実を述べている個所があります。
「彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。」
これは戦争がなくなるということだけではなく、シャロームの事実を書いているのです。
キリストは神の国のもたらし手、シャローム、平和を実現する者なのです。
わたしたちは皆、キリストによって招かれた者であり、キリストに学ぶ者であり、愛や義をいただいた者です。
つまり平和を実現する者とは、わたしたちのことでもあるのです。
キリストによって与えられている平和を、わたしたちが実際に実現していくこと、これがキリスト者の役割です。
最後には神は最善のことをしてくださいます。
今週もキリストを見つめて歩んでいきたいと思います。
説教:池田伯牧師
