7月13日の説教


だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。
あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。
あなたも人を裁いて、同じことをしているからです。
神はこのようなことを行う者を正しくお裁きになると、わたしたちは知っています。
このようなことをする者を裁きながら、自分でも同じことをしている者よ、
神の裁きを逃れられると思うのですか。
あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな
慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。
あなたはかたくなで心を改めようとせず、神の怒りを自分のために蓄えています。
この怒りは、神が正しい裁きを行われる怒りの日に現れるでしょう。
神はおのおのの行いに従ってお報いになります。
すなわち、忍耐強く善を行い、栄光と誉れと不滅のものを求める者には、
永遠の命をお与えになり、反抗心にかられ、真理ではなく不義に従う者には、怒りを憤りをお示しになります。
すべて悪を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、苦しみと悩みが下り、
すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。
神は人を分け隔てなさいません。

(ローマ2:1〜11)

今年度の主題聖句をより深く味わうために、すこしづつロマ書を読んでいます。

パウロは十字架の主に出会いました。
それでパウロはそれまでの罪を赦されました。
だからこそ、神はすべての人を分け隔てなく赦してくださるのだと宣教するのです。

人は自分を誰かに比べて、その人よりも少しでも上だと「神は公平だ」と思い、少しでも下だと「神は不公平だ」と思います。
ここに神と人との思いの違いがあります。

マタイによる福音書に、こんなたとえ話があります。
王にお金を借りた家来が返す時に、とても返せないと伏して願ったらすべてを帳消しにしてもらえました。
しかし、この家来は、自分に金を借りていた人を許すことなく、返すことを強要しました。
家来が王に借りていた金額は、164年働いてやっと得られる金額だということです。
それを帳消しにしてもらったのに、自分が貸していた人を許すことはなかったのです。
この家来は、王の許しを自分のものとしていなかったのです。
イエスは、このたとえ話で、まずひとりひとりが神の圧倒的な許しを身に受け、自分のものにしなさい、と言うのです。
パウロは神の圧倒的な愛を身に受けました。
わたしたちも神の圧倒的な無尽蔵の愛を身に受けているのです。
それを感じられない人は、聖書に立ち返り、確認して欲しいと思います。

裁きの裏には赦しがあります。
パウロは、ローマの人たちに、神の裁きは無条件の赦しの中にあることを伝えています。
赦しを知る者は、悔い改めに導かれます。


わたしたちも神の愛を感じつつ、生活していきたいと思います。


                                                         (説教:菊池丈博牧師)


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