6月2日の説教


そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。
神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。
愛を持って互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。
体は1つ、霊は1つです。
それは、あなたが、1つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。
主は1人、信仰は1つ、洗礼は1つ、すべてのものの父である神は唯一であって、
すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。
                                                (エフェソ4章1〜4節)

教会は成長したのは明治初期、宣教師たちが沢山日本に来たときでした。
宣教師たちは福音と同時に、他のものももたらしたのです。
1)女性の教育=それまでの日本は、女性教育には門戸を閉ざしていました。
 そこで宣教師は女性が教育を受けられる学校を沢山作りました。
2)高等教育=今日本におけるクリスチャンの割合は1%と言われています。
 しかし、キリスト教主義だとしている大学は約10%あるのです。
3)幼児教育=幼稚園教育は、明日の日本をになう人材を育成するということで、大きな役割を担っていました。
 この原町田教会も幼稚園から出発したと聞いております。
4)障害者、弱者に目を向ける=その人たちが安心して暮せる社会にするために努力しました。
5)英語教育=宣教師たちは、生きた英語を日本人に教えました。
 宮沢賢治の妹も、東京の大学で英語教師の資格を取り、故郷で子供たちに英語を教え、さらに地元の宣教師に
 バイブルを習ったり、生きた英語を学んだりしたそうです。
このように宣教師たちは、多くの知識や文化を日本人に伝えたのです。

現代はどうでしょうか。
教育も福祉も国や地方公共団体でやってくれます。
教会がそれらのことを担わなくてもよくなりました。

だからこそ、これからが教会が成長するときなのです。
教育も福祉も、教会にとっては本質的なことではありませんでした。
これからは、教会の本質を社会に示していけるときなのです。

では教会の本質とはどのようなものなのでしょうか。
毎日のようにうつろいゆく社会で、多すぎる情報に翻弄される中にあって、わたしたちキリスト者は、
頭であるキリストの愛の土台に根を張り、揺るぎのない人生を送ることができます。
「根」とは土の中、見えないところに深く深く張り、支えているものです。
わたしたちにとって「根」は、イエスキリストです。
キリストの本質から外れることなく、キリストに根ざし、キリストの歩んだ道をわたしたちも歩むとき、
豊かな成長があるのです。

今週もキリストに根ざした一週間を歩みたいと思います。


                                              (説教 菊池丈博牧師)





                                                        


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