5月25日の説教
まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。
あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。
わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。
その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなた
がたのことを思い起し、何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。
あなたがたにぜひ会いたいのは、「霊」の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。
あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。
兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。
他の異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、
今日まで妨げられているのです。
わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵ある人にもない人にも、果たすべき責任があります。
それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです。
(ローマ1:8〜15)
幼稚園では今年から聖句を暗唱させています。
暗唱する機会を持つことは、有意義なことです。
御言葉が自分のものとなり、生きたものとなります。
繰り返して覚えることが身になるのです。
語学でも、何か目標を目指している人でも、最後まであきらめない人こそ成功します。
詩篇37編4節に
主に自らをゆだねよ
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
あきらめないこと、継続すること、どのような状況にあっても絶望することなく、断念することなく、時を待つことも必要です。
神はその願いをかなえてくださるときを与えてくださるのです。
パウロの願いはローマへの訪問でした。
この個所の8節から15節の間に「ぜひ」が3回出てきます。
新約全体の中で「ぜひ」が出て来るのは14回。
そのうち3回がこの短い個所の中に出て来るのです。
15節の「ぜひ」は強い意味のある言葉です。
「自分の心が燃えるほどの」という言葉なのです。
これは切なる願いだけでなく、備えがあるということも意味します。
わたしたちが「ぜひ」と思っているとき、どれくらいそれに対して備えをしているでしょうか?
進行に基づく願いはかなえられます。いや、すでにかなえられているのです。
パウロの願い「ローマに行って福音を宣べ伝えたい」という願いには既に備えができていました。
彼はすでにそのように歩んでいるのです。
教会の願いは、福音を宣べ伝えることです。
幼稚園の運営も、教育講座も、さまざまな集会にも、さまざまな人が準備をして、それぞれに備えがあります。
願いと備えが一致しているのです。
パウロの「福音をのべ伝えたいという願い」はすなわち、自分の生きている姿を見て欲しい、ということです。
自分の福音の中に生きている姿を見て欲しい、ということなのです。
教会での福音の宣べ伝えは、牧師一人がするものではありません。
それぞれの場で、全ての人が聖書を読み、福音を生きようとしているその姿によって宣べ伝えられるのです。
主の福音の中に生き、希望を持って生きるとき、人生が変わります。
豊かな実りを得ることができるのです。
わたしたちは全ての願いの中で、充分に備えていかなければなりません。
しかし、信仰を持って願う時、主はすでに備えてくださっているのです。
主我と共にいますという御言葉を胸に、今週も歩んでいきたいと思います。
(説教:菊池丈博牧師)