5月18日の説教


キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、
--この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。
御子は、肉によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。
この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。
わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、
恵みを受けて使徒とされました。
この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。--
神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。
わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

(ローマ1:1〜7)

今年の主題聖句はお一人お一人が心の内でよく味わい、わたしたち自身のものとするために、
今週からしばらくの間、ロマ書を読んでいきたいと思います。

この書の最初には「挨拶」があります。
パウロの書簡の最初は、ほとんどすべてに「挨拶」があります。
つまり、自分の身の証しから始めているのです。
自分が主なる神から召されて使徒となったということが、ロマ書の特徴です。
パウロ自身はローマにはまだ行ったことがありません。
しかし、ローマで働いている人々がたくさんいて、パウロのことをいろいろ話していたのでしょう。
そしてローマの人たちもパウロにぜひ会いたいと思っていたことでしょう。
そのようなことを知っていたでしょうが、パウロはまず自分自身の証しをするのです。
「召されて使徒となった」と。

「召される」とはよく聞く言葉ですが、普通の生活では用いることの少ない言葉です。
クリスチャンがよく使うのは、どなたかが亡くなったときです。
しかしここでは、パウロはそのような意味で使っているのではありません。
パウロは神によって呼び出された、声がかかった、だからこうして使徒となったのだ、ということを
ローマの人たちに伝えたかったのでしょう。
そしてそれはとても大切なことだということを、よく知っていたのでしょう。

旧約にも、主なる神の声に従った人たちは沢山います。
創世記のアブラハムは、神の声を聞いて、行く先も分からず旅立ちました。
出エジプト記では、イスラエルの人々がエジプトの奴隷となったとき、モーセを遣わし、人々を救うように語られました。
エレミア書の初めにも「わたしはあなたを母の胎内に造る前から、あなたを知っていた」とあります。
イザヤ書では、「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか」という御声が響きます。

パウロはその声に従い、自分の意志によらず、いわば強制的に、しかしそれを我が喜びとして生涯を過ごしました。
旧約の人々が信仰だけによって、喜びの中で歩んでいったということを知っていたのです。

使徒言行録のパウロの回心の物語にもあるように、イエスこそが「よきおとずれ」であり、すべての人の心にその「よきおとずれ」を
伝えるために神に召されたのだ、と言うのです。
「ローマのみなさん、わたしだけでなくあなたたちにも神の声がかけられているのです。」とパウロは言っているのです。
神の呼びかけは、人を本当の愛、本当の命へと導くのです。

このころのパウロはおよそ60歳頃だったと思います。
しかし、パウロはさらに伝道するためにその先にまで行きたい、希望を持って、祈りつつ…

主なる神は、わたしたち一人一人に、ぬくもりのある愛の言葉をかけ、召してくださっています。
「ひとりひとりにわたしの計画がある。だから大いなる希望を持って信仰を持って歩みなさい」
と励まし続けてくださっています。
わたしたちはその喜びを、自分の周りのすべての人たちに伝えていきたい、それが喜び、それが人生だとパウロは語っています。

今週も神の愛を胸に、歩んでいきたいと思います。


                                                 (説教:菊池丈博牧師)



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