1月26日の説教

さて、わたしは長老の一人として、また、キリストの受難の証人、
やがて現れる栄光にあずかる者として、あなたがたのうちの長老たちに勧めます。
あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい。
強制されてではなく、神にしたがって、自ら進んで世話をしなさい。
卑しい利得のためにではなく献身的にしなさい。
ゆだねられている人々に、権威を振り回してもいけません。
むしろ、群れの模範となりなさい。
そうすれば、大牧者がお見えになるとき、
あなたがたはしぼむことのない栄冠を受けることになります。
同じように、若い人たち、長老に従いなさい。
皆互いに謙遜を身につけなさい。なぜなら、
「神は、高慢な者を敵とし、
謙遜な者には恵みをお与えになる」
からです。
だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。
そうすれば、かの時には高めていただけます。

(ペトロの手紙1、5:1〜6)




ここに出てくる「長老」という言葉は、テモテ3章8節に出てくる「奉仕者」という言葉と同じ意味、
つまり「執事」と考えていいようです。
事実、口語訳聖書では執事となっています。

第1節でペトロは自分の立場を明らかにしています。
彼はイエスの直接の弟子としての意識を持っています。
カトリックでは、ペトロはとても大切に考えられていて、ローマ法王がその代々の継承者として位置付けられています。

教会では、一人だけが頑張ってもダメで、一人一人が自分に与えられた賜物を生かしていくことが大事です。
キリストの受難の証人として、それを証ししていくのが長老の役割です。
しかし、長老だけではなく、わたしたち一人一人が証しする者なのです。

ペトロが長老たちに求めたものは、2節の「神の羊の群れを牧しなさい」ということです。
彼自身、ヨハネ福音書に書かれてあるとおり、イエスに「わたしを信じるか」と聞かれ、3度も信じると告白したのにもかかわらず、
ニワトリが鳴く前に3度、イエスを否定してしまったのです。
その自分の弱さを自覚すればこそ、人の弱さ、苦しみを理解できるのです。

さまざまな困難に遭っても、どんな状況の中にあっても、主が共にいてくださるということは、わたしたちにとって喜びです。
その喜びを知れば、わたしたちが共に確かな未来を見据え歩んでいくということが可能になります。
喜びの信仰を持ち、喜びの奉仕をすることができるのです。

                                                         (説教:菊池丈博牧師)



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