1月12日の説教

キリストは肉に苦しみをお受けになったのですから、あなたがたも同じ心構えで
武装しなさい。
肉に苦しみを受けた者は、罪とのかかわりを絶った者なのです。
それは、もはや人間の欲望にではなく、神の御心に従って、肉における残りの
生涯を生きるようになるためです。
かつてあなたがたは、異邦人が好むようなことを行い、好色、情欲、泥酔、酒宴、
暴飲、律法で禁じられている偶像礼拝などにふけっていたのですが、もうそれで
十分です。
あの者たちは、もはやあなたがたがそのようなひどい乱行に加わらなくなったの
で、不審に思い、そしるのです。
彼らは生きている者と死んだ者とを裁こうとしておられる方に、申し開きをしな
ければなりません。
死んだ者にも福音が告げ知らされたのは、彼らが、人間の見方からすれば、
肉において裁かれて死んだようでも、神との関係で、霊において生きるように
なるためなのです。
万物の終わりが迫っています。
だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。
何よりもまず、心をこめて愛し合いなさい。
愛は多くの罪を覆うからです。
不平を言わずにもてなし愛し合いなさい。
あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの
善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。
語る者は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。
奉仕をする人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。
それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して、神が栄光をお受け
になるためです。
栄光と力とが、世々限りなく神にありますように、アーメン。

(ペトロの手紙1、14:1〜11)


今日の聖書個所の「肉に苦しみ」とは十字架による苦しみのことです。
また、「同じ心構えで武装する」とは、2節で書かれているように、人間の欲望ではなく、神の御心に従うための
武装ということです。

わたしたちは人生設計をたてて生きていきますが、生きていくための手だてを考えるのは大切なことです。。
聖書ではそれだけではなく、神の御心に従う武装をして、残りの人生を生きようと決心した人がキリスト者であると語るのです。
「残りの人生」ということで思い出すのは「コレヘトの言葉」にある「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ」という御言葉です。
口語訳聖書では「あなたの若い日に」となっていますね。
この「若い日」とは「今この時に」ということです。
だれでも自分の人生において、今この時より若い時はありません。
つまり「今この時に神に従う武装をしなさい」とペトロは言っているのです。

神の御心による武装とは、すべてを包みこむ愛の武装です。
「残りの生涯を生きるようになるため」というのは、ある説教者によると洗礼式にかかわることだということです。
洗礼を受けるとき、わたしたちは一つの覚悟を持ち、あるいは持ったつもりになっています。
しかし、わたしたちは欠けの多い者ですから、生活していくうちに、その決心が薄れていくことがあります。
礼拝に出席することが困難になる。説教の言葉が心に響かなくなるなどの揺らぎが、人生の中で何度も何度も起きるのです。
その揺らぎを越えて行くことが、信仰を強めることになります。

揺らいだ時、わたしたちはイエス・キリストの苦しみを思い出し、そこにたち返ることが大切だと、その説教者は言います。
受洗の時の気持ちに帰っていくことが大切なのです。
あのことは「誰が何といっても」という強い決意があったはずです。
その新鮮な気持ちに帰ることが、神の御心に従う武装なのです。

わたしたち信仰者は、過去のどんな悔やまれるような事柄でも、それを神の恵みとして生きていくことができます。
大いなる神の愛に抱かれ、今週も歩んでいきたいと思います。


                                                            (説教:菊池丈博牧師)



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