12月8日の説教
「そのため、わたしは異邦人の中であなたをたたえ
あなたの名をほめ歌おう。」
と書いてあるとおりです。また、
「異邦人よ、主の民と共に喜べ」
と言われ、更に
「すべての異邦人よ、主をたたえよ。
すべての民は主を賛美せよ」
と言われているのです。
またイザヤはこう言っています。
「エッサイの根から芽が現れ
異邦人を治めるために立ち上がる。
異邦人は彼に望みをかける。」
希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがた
を満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。
(ローマ15:4〜13)
今日の聖書個所の「すべての異邦人よ…」の個所は、詩篇117編からの引用です。
これは最も短い詩篇で、招きの言葉などに良く使われます。
賛美歌21の46番もこの詩篇を使っています。
さて、この賛美歌に「テゼ共同体」という言葉が書かれています。
賛美歌21にはテゼ共同体の賛美歌が11曲おさめられています。
これはフランスの端っこにある小さな村にある男性修道院なのです。
わたしは8年前にここを訪れ、一週間ほど滞在し、朝・昼・夕の賛美と沈黙を守る日課を過ごしました。
さて「エッサイ」とは何のことでしょうか?
エッサイは「サムエル記」に出てくるイスラエルのダビデ王の父の名です。
エッサイの子がダビデ、その子がソロモン、そしてその血筋からイエスが生まれました。
それではイエスはどのような方なのでしょうか?
ロマ書15:5節に「忍耐と慰めの源である神」、13節に「希望の源である神」とあります。
ギリシャ語では慰めは「パラクレイシス」、聖霊は「パラクレイトス」です。
そしてこれらの語源は同じで、傍らに引き寄せる、という意味があるのです。
神様がわたしたちをそのかたわらにぐっと引き寄せてくださる、このことがなぐさめなのです。
いや、神様のほうからわたしたちのほうにぐっと近づいてくださる、といったほうがいいのかもしれません。
毎週の祈祷会で、教会員の方に寄せ書きしたハガキをお送りしていますが、
最近、とても久し振りに教会に礼拝や祈祷会に出席してくださった方が
「はがきを見て、わたしを覚えていてくださるのだと思い、とても感謝でした」とお話してくださいました。
この方も神様に引き寄せられたのです。いや、神様がそばにぐっと寄ってきてくださったのです。
わたしなんかは教会になんてとても行けない、と思う人でも、神様がわたしたちの方に近寄って来て、
私たちの心の奥まで知り、人生をしっかり守ってくださるのです。
忍耐というのは決して変わらない、ということです。
わたしたちの信仰は強くなったり弱くなったりします。
しかし、神の忍耐は変わることがありません。
神様はわたしたちのことをいつまでも待っておられます。
神様の御言葉は必ず成就するのです。一つも無駄に終わることはありません。
神様の御言葉はわたしたちに道を示してくださるのです。
そのような主の生まれた日を祝うクリスマスを、待ち望みつつ今週も過ごしていきたいと思います。
(説教:菊池丈博牧師)