12月22日の説教

六ヶ月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたので
ある。そのおとめの名はマリアといった。
天使は、彼女のところに来て言った。
「おめでとう、恵まれた方。
主があなたと主におられる。」
マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考えこんだ。
すると、天使は言った。
「マリア、恐れることはない。
あなたは天から恵みをいただいた。
あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。
神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。
彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
マリアは天使に言った。
「どうして、そのようなことがありえましょうか。
わたしは男の人を知りませんのに。」
天使は答えた。
「聖霊はあなたに宿り、いと高き方の力があなたを包む。
だから、産まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
あなたの親類のエリザベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。
不妊の女と言われていたのに、もう六ヶ月になっている。
神にできないことは何一つない。」
マリアは言われた。
「わたしは主のはしためです。
お言葉どおり、この身になりますように。」
そこで天使は、去って行った。

(ルカ1:26〜38)


2002年もいろいろな出来事な起こり、また起こりつづけています。

家族がいる幸せ、とは自分のことを徹底的に愛してくれる人がいる幸せです。
阪神大震災からもうすぐ七年が経とうとしていますが、そこでボランティア活動をしている方からお話を聞くと、
仮設住宅で自殺する人が沢山いるということでした。
寂しくて耐えられないためだというのです。

今の世の中には、淋しくて耐えられないと思っている人は沢山います。
職場、学校、または家庭内においても、自分の存在が無視され、否定されるということが淋しさを生み出しているのです。

主なる神は、わたしたちがどのような状況下にあっても、わたしたちを受け入れてくださいます。

38節に「わたしは主のはしためです」とあります。
この言葉は話した、というより祈ったと言ったほうがいいのかもしれません。
このマリアの態度は驚きと言えると思います。
「お言葉どおり、この身になりますように」と受け入れたことが驚きなのです。
マリアは恐らくこの時15,6歳であったと思われます。
すくなくとも20歳以下であったこと確実なのです。
もし自分がマリアの立場だったら、ヨセフだったら、ということを考えると、とうてい受け入れることはできないと思います。
しかしマリアはむしろ喜んで受け入れたのです。
自分が深い恵みの中に捕らえられていることを自覚し、こんな小さな主のはしためであるにもかかわらず、顧みてくださった
ということを喜んでいるのです。

思い悩むな、恐れるな、と聖書に書いています。
自分が自分を受け入れられなくても、主は受け入れてくださいます。
自分の存在が神に受け入れられると、すべてのことがよいこととして意味を持ってきます。
苦難があっても、必ず先があると信じることができるのです。

わたしたちはすべて、主のはしためとして生きています。
主イエスが産まれ、わたしたちの存在をよしとして下さったからです。

わたしたちに対して神がしてくださっている「大丈夫だ、わたしがいつもそばにいる」という約束が成就したのがクリスマスです。
そしてバプテスマとは、自分が神に愛されているということの自覚の告白です。
わたしたちは愛を知っています。
ですからわたしたちは、愛を知らない多くの人たちに愛を伝えていきたいと思います。
そして、ここは恐れることのない場所なのだということを伝えたいと思います。

                                                            (説教:菊池丈博牧師)





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