12月15日の説教
すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。
ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。
天使は言った。
「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。
あなたの妻エリザベトは男の子を産む。
その子をヨハネと名付けなさい。
その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。
多くの人もその誕生を喜ぶ。
彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいる
ときから聖霊に満たされていて、イスラエルの多くの子らをその神である主のも
とに立ち帰らせる。
彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正
しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」
(ルカ1:11〜17)
今日の聖書個所であるバプテスマのヨハネの誕生、そしてイエス・キリストの誕生は、ヘロデ王の時代
(紀元前37年から紀元前4年の在位)です。
彼は政治的手腕を買われ、ローマに任命されたのですが、ユダヤ人にも反発されないように、
ユダヤ教の神殿建設などにも力がありました。
しかし彼は、人を信用できない人で、最終的には自分の妻や子供さえ信じられなくなり、処刑してしまいます。
三人の博士がヘロデ王のところに行って「ユダヤの王としてお生まれになった方はどこにいらっしゃいますか。
わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」と言った言葉を聞いて、非常に不安になり、
「その場所がわかったら、是非教えてくれ。わたしも拝みに行くから」と言いましたが、実はイエスを抹殺しようとしたのです。
人を信じることのできない王の時代に、人を愛すること、信じることを説いたイエスが現れたということは、とても意味深いことです。
最近、いくつかの集会で別の聖書個所を題にお話したのですが、ある同じ1つのことを問われました。
自分自身を知るということはどういうことか、ということです。
自分自身を知るためには、神を知らなければならないと思います。
主なる神は、無条件、無尽蔵に、どこまでも、いつまでもわたしたちを愛してくださっています。
しかし、人間には限界があります。
自分自身を知らないと不信、不安、恐れ、優越感、劣等感…などの間にいることになります。
ヘロデもそのような人でした。
王として君臨しながら、その自分自身がいつ失われてしまうかとう不安、恐れの中で揺れ動いていたのです。
安心のない人生では自分のことを知ることはできません。
なぜならそのような人は、人の顔色を見て行動をするしかないからです。
聖書には「あなたの若い日にあなたの造り主を覚えよ」とあります。
この「若い日」とは「今」ということです。
わたしたちの人生で今より若い時はありません。
主なる神は、わたしたちの平安を、御子を通して与えてくださっています。
最も神から遠いヘロデが支配する地に、祭司ザカリアがいました。
彼は妻と共に、主の掟を落ち度なく行い、過ごしてきた人です。
そのザカリアに主の使いが現れました。
しかし彼は、子供が授かるという御使いの言葉を信じることができませんでした。
自分は掟を守り、神の戒めを良く知り、自分のことをよく知っているから、御使いの言葉を信じることができなかったのです。
その結果、彼は口が利けなくなりました。
わたしたちはまことの神を求めていながら、本当にまことの神は来てくれるのだろうか?と思っていないでしょうか?
ザカリアも、神が直接人生に介入してきた時には、信じることができなかったのです。
しかし、沈黙のまま、神の祝福を反芻することによって、次第に神のほうへ心が高く向けられていったのでしょう。
神の言葉がザカリアの心にしっかり受け止められた時に出てきたのが、ザカリアの賛歌です。
10ヶ月の沈黙の果てに出てきた最初の言葉は「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を」です。
わたしたちもこの言葉をかみしめつつ、心を高く上げて、アドベントを過ごしていきたいと思います。
(説教:菊池丈博牧師)