11月24日の説教


同じように、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。。
夫が御言葉を信じない人であっても、妻の無言の行いによって信仰に
導かれるようになるためです。
神を畏れるあなたがたの純真な生活を見るからです。
あなたがたの装いは、編んだ髪や金の首飾り、あるいは派手な衣服といった
外面的なものであってはなりません。
むしろそれは、柔和でしとやかな気立てという朽ちないもので飾られた、
内面的な人柄であるべきです。
このような装いこそ、神の御前でまことに価値があるのです。
その昔、神に望みを託した聖なる婦人たちも、このように装って、
自分の夫に従いました。
たとえばサラは、アブラハムを夫と呼んで、彼に服従しました。
あなたがたも、善を行い、また何事も恐れないようなら、サラの娘となるのです。
同じように夫たちよ、妻を自分よりも弱いものだとわきまえて生活を共にし、
命の恵みを共に受け継ぐ者として、尊敬しなさい。
そうすれば、あなたがたの祈りが妨げられることはありません。

(ペトロ3:1〜7)


今日は収穫感謝の日です。

人が生まれることは神の実りのある収穫です。
人が生まれ、成長し、結婚し、子供が生まれ…ということは大いなる実りなのです。

今日の個所は妻と夫のことが書かれています。
ペトロはなぜここで妻と夫を取り上げたのでしょう。
ペトロの手紙の第1では、わたしたちが具体的な生活のなかでどのようにして生きていったらいいのかを、一つ一つ例を挙げて
説明しています。
例えば2章11節の前には「神の僕として生きよ」と書かれていますね。
すべての人を敬い、兄弟を愛し、神を畏れ、皇帝を敬いなさい。(17節)
しかし善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心にかなうことです(20節)
なぜなら、イエス様がそのようにして生き、わたしたちのために死んでくださったからです。
つまりこれらは、「すべては神のために」ということが前提となっています。

ユングの研究者、秋山さと子さんは、著書「女性はそのままで美しい」のなかで妻と夫の分析をされています。
要約すると、妻も夫も、相互に依存していてはうまくいかないということだと思うのです。
妻は夫に母を求め、妻は夫に父を求めがちです。
結婚相手にそれを求め、相手が思いどおりの人ではないことに気づき、いろいろな問題が起こるのです。
このようなことをなくするには、その人がどれだけ自立しているか、ということが問われます。
自立とは、どこまで相手を思いやれるか、ということで測れます。

主自らが、人を愛するということはこういうことだよ、と教えてくださり、わたしたちの苦しみ、悩み、悲しみetcをすべて受けとめて
十字架にかかられたのです。
わたしたちだけでは何事もできませんが、主が共にいてくだされば、すべてが可能です。
わたしたちを支えてくださる主が、わたしたちを成長させてくださるのです。
イエス様を通せば、夫は妻を、妻は夫をいたわり合うことができます。
いや、夫婦間のみではなく、あらゆる人間関係の中で、いたわりあえるようになります。

複雑な社会状況の中で、イエス・キリストの愛を知るわたしたち自身が、世の流れの中にしっかりと立ち、収穫を得るために
主に再建されるということが必要です。

若者がおとめをめとるように
あなたを再建される方があなたをめとり
花婿が花嫁を喜びとするように
あなたの神はあなたを喜びとする。


(イザヤ62:5)

豊かな祝福とは、心の中に神の祝福を持っているということです。
わたしたちは既にそれを持っています。
それを世の中に向けて、発信し続けていきたいと思います。

                                                                     (説教:菊池丈博牧師)




表紙/11月24日の説教