11月10日の説教



「この方は、罪を犯したことがなく
その口には偽りがなかった」
ののしられてもののしりかえさず
苦しめられても人を脅さず
正しくお裁きになる方にお任せになりました。
そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を
担ってくださいました。
わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。
そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。
あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であって、
監督者である方のところに戻ってきたのです。

(ペトロの手紙2:18〜25)


この聖書個所の書かれた頃には、おびただしい数(数百万人)の奴隷がいました。
キリスト教であれば、解放を勧めるはずなのに「従え」と書いてあるのはなぜでしょうか?

ペトロの手紙1、3:9の御言葉のうちに、ペトロの言いたかったことが含まれています。
悪を持って悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。
かえって祝福を祈りなさい。
祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。

このことは相手を愛することによってのみできるのです。

すべての行為は神によって知られているのですから、他人に自分の行為を見せるためではなく、
神に喜ばれるように、一つ一つのことを喜びをもって行うことが大切です。
信仰者は、試練の中に恵みを、病のなかに希望を持つことができます。

相手を愛し、すべての行為を神に喜ばれるように行う、このことが魂の牧会者であるイエスのもとに帰るキリスト者の生き方です。

例えば、子供が自分の気にくわないことがあって、ぐずって母親によくない言葉を言っても、母親は子供を愛しているので、
その言葉に対して怒ることなく、かえって子供がいとおしくなり、抱きしめたりしますね。
このように、こちらに愛があれば、いくら相手がののしろうと、こちらからは相手と同じような行動に出ることはないのです。
もし、口でののしらなくても、相手のことを心の中でののしっていたとしたら、それは口に出したのと同じです。
心の中のののしりは、積り積って、いつか大きな怒りとなって表に現れないともかぎりません。

このような愛を持った生き方は、イエス・キリストが身をもって示されました。
このことを忘れないでいきたいと思います。

どんな状況であっても、わたしの魂の牧会者イエス・キリストだということを、しっかり心に留めておきたいと思います。
イエス様がわたしたちを愛しておられるように、わたしたちもイエス様を、そしてすべての人々を愛して、今週も歩んでいきたいと思います。


                                                  (説教:菊池丈博牧師)


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